2012/9/5

毎日「風が吹き込まない場所で乾いた寝床に寝られるのは、なんてありがたいことだろう」とつくづく感じますし、思わず口に出してしまいます。雨降りの日などはことさらです。うちの人たちは「またバカなことをいってる」って誰も返事しませんけれど(笑)。

いつでも飲み水があり、電気が供給され、雨にぬれずに一応あたたかい部屋で暮らせる家があることは大変なぜいたくなのです。実際、それをかなえられない人が常に世界にはたくさんいますから。

――『老いの才覚』の中では、年を取って能力が衰えてきたら、欲張りすぎず、生活を縮めることを考えることも大切と書かれています。

家ならば自分で管理できる面積、服は着られる範囲のもの。中年以降はなおさら、自分の体力と必要に応じて徐々に規模を小さくしていくのが利口のように思います。私は若い頃から、余計なものはいらないと考える方でした。イタリアの格言で「人間は一度に2枚の服は着られない」というのがあるんです。さすがに毎日同じ服というわけにもいかないから、少しは替えたいんですけれどね。

――年を取ったら余計に望まない、あきらめることも大事?

いいえ、私はそれがあきらめることだなんて思いません。年齢を重ねるごとに、どうしても必要なもの、したいことだけが残っていくということです。

年を取っても国をあてにし過ぎず、貯蓄は「義務」

年を取っても、自分を鍛え続けることと、耐える力をつけること、それから国家をあてにし過ぎず、自分で生きられるよう、多少の預貯金を持つことなどは年を取った人の義務だと思いますね。

私は自分の母と主人の両親たちとずっと一緒に生活して、老いていく姿も見てきました。老後の良さも問題点も、母たちを通して知りましたが、感心したのはあの世代は節約して上手に暮らす術を知っていたことです。

例えば戦後の非常に貧しい時代、私の母は家の掃除ばかりしてました。掃除はタダでできるからだといっていましたよ(笑)。そういう気質を受け継いでいるのか、私も庭や畑の草取りが大好きです。身の回りをすがすがしくしておくことは実に気持ちがいいですから。おカネが一切かからない“道楽”ですね。

――長寿は本来喜ばしいことのはずなのに、経済的には「長生きリスク」という言葉が使われることがあります。何歳まで生きるか分からないから、どれだけ経済的な備えをすべきか分からない。

私は高齢者といえども働くべきだし、働かせることで経済的効果を生む政策があっていいと思います。80歳でも90歳でもできる仕事はあるでしょうし、また、作ってあげたらいい。

老人ホームでお遊戯させるなんていうのはやめて、老人を働かせること。たとえ1カ月に3000円でも収入を得ることができるようにしたらどうでしょう。その中には、かつては社長さんで月収が500万円あったというような方もいるかもしれません。でも、だからみじめだと思う必要は全くないでしょう。むしろ、今になっておカネの本当の使い方がわかったとお思いになるのではないでしょうか。

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80歳でも90歳でも働きたくないものは食うべからず