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今だから明かせる「テレ朝バラエティー」好調の源流 日経エンタテインメント!

2013/10/7

テレビ朝日の好調を支えるバラエティー『アメトーーク!』や『ロンドンハーツ』。今や“テレ朝印バラエティー”の代名詞だが、そのルーツともいえる番組について、プロデューサーの加地倫三に、今だから明かせる話を聞いた。(敬称略)

2012年度の視聴率戦で2冠(ゴールデン、プライム帯)を達成したテレビ朝日。今年度に入ってからも日本テレビとのデッドヒートを繰り広げており、テレビ界はすっかりこの2局の2強時代になった。

ドラマやスポーツ、報道番組といった全方位での強さを見せるなか、その安定感に大きく貢献しているのがバラエティー番組。なかでも『アメトーーク!』や『ロンドンハーツ』など、いくつもの“テレ朝印バラエティー”を手がけているのが加地倫三である。

加地は1992年の入社後、スポーツ局に配属。96年より編成制作局に異動、バラエティー制作に携わるようになった。その“事始め”がナインティナインの『Q99』『Q992』(96年4月~97年3月)や『ナイナイナ』(97年4月~99年3月)。『ナイナイナ』は、今年4月からCSのテレ朝チャンネル1で14年ぶりに放送、ちょっとしたお宝映像として、話題を呼んでいる。

当時のテレ朝バラエティーは、華やかで高視聴率の日テレやフジテレビの陰に隠れた存在だった。逆転現象となった今、「僕の学校だった」と加地が言うナイナイの番組を例に、それが現在の制作姿勢にどうつながっているかを聞いた。

■テレ朝はバラエティー後進国、「ここに染まらないぞ」

加地倫三(かぢ・りんぞう) テレビ朝日ゼネラルプロデューサー。1969年生まれ。神奈川県出身。上智大学卒業後、92年にテレビ朝日に入社。スポーツ局に配属後、96年より編成制作局に異動し、バラエティ番組の制作に携わる。現在、『ロンドンハーツ』『アメトーーク!』の演出・プロデューサー。12年に自身の仕事術を明かした『たくらむ技術』(新潮新書)を上梓(写真:村上厚志)

90年代後半のテレ朝は、『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー』のような人気番組はありましたが、それはごく一部で、全体的にはバラエティー後進国でした。プロ意識が低かったり、番組の作りも甘かったと思います。若手だった僕は、それを反面教師にして、「ここに染まらないぞ」って思ってました。なんの実績もないのに。

もともとフジテレビに入りたかったので、局内にバラエティーの先生はいないと思っていたんです。世代的にも、黄金時代のフジテレビを見て育ってきたので、僕のなかでは、バラエティー=フジテレビでした。

――そんな加地にとってラッキーだったのは、ADとして最初に担当したバラエティーの現場にフジテレビのノウハウを持ったスタッフが何人もいたことだ。

ディレクターは、フジテレビで数々のバラエティーを作ってきた“師匠”北村(要)さんに、『めちゃイケ』などを担当する日本一のバラエティーカメラマンの辻(稔)さん。MCのナインティナインもフジのイメージが強かったから、当時はただただ、「この番組に入れてよかったー」って(笑)。もし違う番組についていたら、今の自分はないと思います。

――別部署から異動してきた加地がバラエティーの現場で最初に学んだのは、お笑い芸人との接し方だったという。

『Q99』の何回目かのロケで、空き時間に矢部(浩之)さんにいろんなことを次々質問したことがあったんですよ。それまで4年間担当していたスポーツ局時代のクセで。スポーツ選手の場合、仲良くなるために、番組スタッフは積極的にグイグイ話しかけていくんですけど、その感覚で矢部さんに接したら、何個目かの質問のときに「なんでそんなに聞くの?」って、本気で嫌がられたんです。

冷静に考えたら、当時の僕はADで何の力も信用もないし、そんな人間といきなり親しげに付き合おうとするわけがない。「芸人さんという生き物はこういう接し方をあまり好まないんだ」って、まずここで学びました。

それを機に、基本的には自分のADとしての仕事だけを全うすることにしました。芸人さんが向こうから話しかけてくれるまで、自分から話しかけるのはやめました。

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