劇的に進化 体験者が語る乳がん検査・治療のいま
山崎 早いもので私も乳がん発覚から8年余りが過ぎました。その間、乳がんを取り巻く環境は劇的に進化していますね。新薬もどんどん出て。
山内乳がん研究は今や日進月歩。その大きな要因のひとつに、がん細胞の遺伝子レベルでの解析技術が飛躍的に進んだことがあります。見た目でしか判断できなかったがん細胞が、遺伝子を調べることで詳細な性格まで分かり、効率的な治療の選択ができるようになっています。ますます個別化治療が進んでいくし、たとえ再発しても、打つ手はたくさんあります。
山崎 そうなれば、自分にとって本当に必要な治療を受け、過剰な負担を体にかけなくてもすむようになりますね。
山内 自費ですが、最先端の遺伝子検査法(「オンコタイプDX」や「マンマプリント」など、がん細胞の特性を遺伝子レベルで解析する検査法)も登場し、がん細胞の性格をさらに細かく解析することができるようになりました。また、もともと持って生まれた遺伝子の中に、乳がんが発症しやすい変異遺伝子があることも分かってきています。
山崎代表的なのが遺伝性乳がん・卵巣がん症候群(HBOC)ですね。昨年、アンジェリーナ・ジョリーさんが両乳房を予防的に切除したと公表したことはセンセーショナルでした。日本ではまだ遠い話と思っていたことが一気に身近に迫った感じがして、ドギマギしました。15年間、米国で乳がんの研究、診療をしてきた先生は、世間やマスコミの反応をどう感じましたか?
山内 私がいたフロリダでは、患者さんが普通に遺伝子検査を受け、希望があれば私も予防的切除を行っていたので、正直、なんでこんなに大騒ぎをするのだろうと。
山崎 たとえ可能性が高くても、病気ではない乳房を切除するなんて「米国人は過激だ」と思った日本人は多いです。
山内 文化や思想の違いという方もいますが、この問題は人種を超えた一人ひとりの考えが大切だと思うんです。HBOCと診断された方は将来的に乳がんや卵巣がんになる確率が他に比べてはるかに高い。乳がんや卵巣がんで苦しんだ末に亡くなったお母様や叔母様を見てきたアンジェリーナさんは、子を持つ母親として、がんにならないようにする選択をした。これは、いい、悪いという尺度で判断する問題ではないと思います。日本でも、がんになりたくない、片方が乳がんになって、もう片方をがんにしたくないから取りたいと考える方はいる。その思いを尊重し、選択肢を支える医療体制を準備しておくことは、非常に大切だと思っています。
~発症リスクを把握するには家族性・遺伝性乳がんのチェックを~
乳がんの約8割は家族歴に関係なく発症するが、血縁者に乳がん、卵巣がんの患者が複数いる場合、乳がんになりやすい体質を受け継いでいることがある。これを「家族性」乳がんという。また、特定の遺伝子に変異がある場合は「遺伝性」乳がんという。
遺伝性乳がんの場合、BRCA1とBRCA2という2種類の遺伝子の両方またはどちらかに変異がある。それにより発症リスクは25 倍に跳ね上がるというデータも(表1)。
不安な場合は、「遺伝子カウンセリング」をまず受けてみるといい。対策や選択肢などを助言してもらえる(ほとんどの場合1時間3000~1万円)。相談先はHBOCのサイト(http://hbocnet.com/)で検索できる。慎重に検討したうえで正確に調べたいなら、血液による「遺伝子検査」を。費用は保険適用外のため20万~30万円程度だ。
遺伝子検査で遺伝性乳がん・卵巣がん症候群(HBOC)で、将来87%の確率で乳がんが発症すると医師から告げられたハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーは、発症を防ぐために両側の乳房を全切除し再建したことを世間に公表。日本でも大きな反響を呼んだ。
体制が整っていない日本ではカウンセリングが大切
山崎 米国でも、HBOCと分かった方全員に予防的切除を積極的にすすめているわけではないのですよね。
山内選択肢として話はしますが、すすめるわけではありません。心配な方には、まず専門家によるカウンセリングをすすめ、十分に話し合って、遺伝子検査を受けるかどうか決めます。予防的切除はこの検査を受けて出た結果の先に考えることです。また、HBOCと診断された方に、就職や保険の制限など社会的差別を禁じた法律もあり、社会の受け入れ態勢ができていることも、日本と状況が違います。
山崎 聖路加国際病院では2006年から遺伝カウンセリングを行っていますが、アンジー報道以降、相談数は増えていますか?
山内 カウンセリングを受けた方は12年で120人、13年で230人でしたから、倍に増えています。そのなかで、実際に遺伝子検査を受けたのはどちらもほぼ半数でした。
山崎 遺伝子検査の結果を知ることは怖いし、米国のような体制が整っていないなか、カウンセリングの果たす役割はとても大きいですね。
山内 とても大切です。そして検査を受けた結果が陽性でも、今の日本では、早い年齢からこまめに検診をして、早く見つける準備をすることが、現実的かもしれません。
ただ、乳がん死を減らすために検診は有効ですが、検診ではがんになるのを止められないし、卵巣がんのように、検診がしにくい臓器もあります。
こうして医療が大きく変わってきた今だからこそ、私たちの考え方も大きく転換すべき時期にさしかかっていると思うのです。
山崎 防ぐ選択肢があるなら、命をどう自分で守るかは個々の問題で、「過激だ」で終わらせてはいけない。それに、見つかったときは進行していることが多い卵巣がんのほうがやっかいで、卵巣の予防切除も視野に入れないと……。
ただ、日本ではどれも保険が利かず高額なため、身近な医療になるには時間がかかりそう。私自身、検査を受ける踏ん切りがつかないのが、正直なところです。
2005年に受けた女性検診で乳がんが発覚。当初はがん細胞が乳腺の中にとどまっている非浸潤がんとの診断を受けた。ただ微細石灰化が乳房全体に広がっていたため、乳房全切除の手術となった。
しかし、術後の病理診断でがん細胞が乳腺の外に出てしまった浸潤個所が多数見つかり、再発を防ぐため、ホルモン薬、抗がん薬、分子標的薬の治療をすすめられた。"体に毒になる"治療を受け入れる気になれず、逃げ出したい気持ちを抱え2週間悩み苦しんだ。
ようやく後で悔いがないようにと治療を決断。今振り返っても、この2週間が最もつらかった。薬物療法中はウィッグや帽子を楽しみ、顔は仕事で得たメイクの知識でリカバー。その経験から、外見の変化で自信をなくす患者さんを対象にした、講演やメイクセミナーがライフワークに。最近は医療者からの問い合わせが多く、患者さんのQOLへの関心の高まりを感じている。
世界レベルの治療の標準化で乳がん死亡者数が減少
山崎ところで、先進国で唯一右肩上がりだった日本の乳がんの死亡者数が、12年にやっと減り始めました。理由はどこにあると思われますか?
山内 私の憶測ですが、乳がん検診を受ける人が増えたことは大きな理由だと思っています。私が渡米する18年前に比べると、明らかに乳がん検診で引っかかって来院される方が増えていて、早期で見つかる方も増えています。
山崎 地道な乳がん啓発活動の意味はあったのですね。もちろん、治療の進歩も死亡率を下げている要因ですね。
山内 しっかりしたガイドラインができ、欧米に追いつけ追い越せと、世界レベルで認められた治療が標準化されたことはあると思います。
山崎 昔と比べ、乳腺専門医がいる病院ならば、ほぼどこででも標準治療が受けられるようになりました。このいい流れで、今後もどんどん死亡数が減ってほしいものです。
山内 ただ、いい流れの一方で、ネットや本から偏った情報を得て、標準治療を受けたくないと、治療を拒む方も最近増えていて、説明をするのに非常に苦労をしています。
山崎 情報過多でどれが正しい情報なのか、一般の人には簡単に判断できないかも……。そして私は体験者だから分かります。つらい治療は逃げたい。やらなくて大丈夫って言ってもらえるなら、そっちを信じたいって。でも、なぜつらい治療をするのか、専門誌や国立がんセンターのネットで調べて私は腹を決めました。相手はがんなのだから、嫌という理由で逃げてはいけないと。
山内 治療の正しい知識を持って熟慮し、それでも治療を受けないと決めるのであれば、それはその方の生き方ですから尊重しますが、正しい情報を得る機会がないまま、偏った意見だけ聞いて拒否し、こちらの話に耳を傾けてくれず悲しくなってしまうときがあります。
山崎 効果的な治療法が確立されているのに、残念なことです。私たちも、正しい情報を発信し続けていかなければ。
健康保険は、長年、自分のお腹などの組織を移植する乳房再建のみに使えたが、もっと手軽で体に負担が少ないインプラントによる再建にも認められた。まず2013年7月、お椀型(ラウンド型)が、続いて2014年1月に下垂したアナトミカル型が認可され、346種から選べるようになった。
QOLを高め、生活全般をサポートするチーム医療を
山崎 シリコンインプラントによる乳房再建が昨年から保険で行えるようになったことも、大きな動きでしたね。
山内 2014年1月には日本人の小ぶりな乳房により自然なアナトミカル型も保険が使えるようになり、これまで再建をあきらめていた方にとって、朗報です。女性のQOLに配慮し、乳房再建を国が認めたことには、非常に大きな意義がありますが、その結果が本当に良かったといえるように、患者さんも医療者も勉強しなければいけません。
山崎 そこですね。インプラント再建は自家組織を使った再建に比べて一見簡単そうに思いますが、自然な乳房をつくることはとても難しいと再建のスペシャリストたちは言っています。感染症などのリスクもあり、これから初めて再建を手掛ける医師も増えるなか、患者も医師にお任せでなく、知識を持ち、ある程度は自己責任で慎重に臨まなければ。こんなはずではなかった、となったら、ショックは計り知れません。先生のおっしゃるように、乳がん医療が大きく変わるなか、患者も知識を持って、医療者とともに治療に臨むことがますます重要なんだと感じます。
山内 ここ数年定着してきたチーム医療も、今後は医療者だけでなく、乳がん経験者など同様の立場にいてサポートをしてくれるピアサポーターや、外部の専門家、患者さん、みんなでつながって、病気だけでなく生活全般を支えるチーム医療を目指そうと動き出しています。
山崎 患者としてはありがたいことですが、医療者がさらに忙しくなるのでは。
山内 人に対する医療をやっている限り、それは当然だと思うんです。だって患者さんの病気だけ治しても、もし、どんどんうつになってしまわれたら、自分は何をやっているんだろうと思うじゃないですか。とはいえ医療者がすべて支えるのは無理で、適切な人たちへ「つなぐ」ことが私たちにできることだと思います。
山崎 もう病気と一人で闘わなくてもいい。患者を支える人がたくさんいる、そんな環境ができ始めているのですね。
(文 山崎多賀子、構成 降旗正子(Paradise Lost)、日経ヘルス 黒住紗織)
[日経BPムック『「乳がん」といわれたら――乳がんの最適治療2014~2015』の記事を基に再構成]
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