2013/5/4

おでかけナビ

常設展示室に架かる日本橋

繰り返される災害の記憶

この建物が受けたもう一つの批判は江戸東京ひろばに対してだ。幅75m、長さ250mにも及ぶ広さは、人間的なスケール感覚を逸脱しているように感じられる。訪れても、そこにいる人の数は少なく、なんとなく寒々しい。

この広場は何のために設けられたのか。菊竹自身はイベント広場であると同時に、団体の入場者をさばくためのアプローチ広場としても機能すると説明している。また、いざという時にはこの地域の避難広場として使われることも想定しているという。

しかし、アプローチ広場としてはともかく、イベント広場としては催しがそれほどあるわけでもなく、主要な機能とはいいがたい。菊竹の主眼は、やはり最後の避難広場にあったのではないか。

江戸東京博物館の近くには隅田川にかかる両国橋がある。この橋は、「振り袖火事」とも呼ばれる1657年の明暦の大火で10万人が死亡した後、避難経路として設けられたものだ。また北側にある横網町公園は、関東大震災の際に火災旋風によって3万8000人の焼死者が出た場所でもある。

再び何かの災害が東京を襲ったときのことを想像してみよう。今は無人のこの広場は、避難してきた人々でいっぱいになるだろう。江戸・東京はそうした災厄をこれまで何度も被った。そして、そこからの復興によってこの都市は発展してきたのだ。

この広場は、江戸・東京がこれまで被ってきた大災害の歴史を思い出すきっかけであり、そのための「空虚なるモニュメント」なのである。

注目記事