2013/5/4

おでかけナビ

左は、両国駅から見た江戸東京博物館。右上は江戸東京ひろば(3階)にあるエスカレー ターの入り口。右下は、エスカレーターが軒天と交差する部分

「江戸城の高さ」という意味

さて、菊竹の作品にも世評の高いものがあればそうでないものもある。江戸東京博物館は、ほぼ同時期に手がけたホテルCOSIMA(1994年)と並んで、どちらかといえば悪評を多く受けた建物と言える。批判された最大の理由は、景観上の問題だろう。周辺の建物と比べても飛び抜けて大きく、辺りを圧倒しているのだ。

なぜこんな高さにしたのか。建物の高さは62mである。これは江戸時代の初期に築かれ、わずかな期間で焼失した江戸城天守閣の高さだという。そこからどんな江戸が見えていたのかを体験してもらおう、との意図らしい。

しかし展示室には窓はなく、その上の7階にはレストランと図書室があるが、常設展示を回るコースからは外れているので、ほとんどの来場者は景色を楽しむことはない。たとえ7階に上がったとしても、見られるのは南側と西側のみ。東京スカイツリーが建っている北側は見られない。それに江戸城があった場所はここから4kmは離れているし、そこは標高が20mくらいあったというから、ここから江戸城からの眺めを想像せよ、といっても無理がある。

察するに、上空に建物を持ち上げた第一の理由は、展望が目的なのではなく、大事な史料や展示物を水害から守ることだったのではないか。菊竹は幼少期に久留米(福岡県久留米市)で洪水を繰り返し体験してきた。それがあったからこそ、初期作である石橋文化センター美術館(1956年)や島根県立博物館(1959年)の頃から、ミュージアムの設計においては、展示室を上階に持ち上げる手法を採ってきたのだ。江戸東京博物館はその手法を繰り返したものであり、それほどまでに菊竹の洪水体験は強烈だったと言える。

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繰り返される災害の記憶