悲劇の都営三田線 大手町駅が「大手町」にない理由

東武東上線への乗り入れは輸送量が障害に

三田線は東急線日吉駅まで乗り入れている

東武東上線との直通計画も頓挫した。こちらは輸送量がネックとなった。

6号線は車両の長さが18メートルで、8両編成を検討していた。1号線の規格に合わせたためだ。これに対し東武東上線は20メートルの車両を考えていた。将来的には8両から10両編成に増やすことも検討していたという。輸送量増強を見込む東武にとっては、都の計画は力不足と映った。必要となるホームの長さも違う。

さらには「東武の主要ターミナルである池袋を通らないルート設定も、同社の慎重姿勢の背景にあったと思います」。これは篠原さんの推測だ。

三田線には、北側は大宮、南側は港北ニュータウンまで延伸する構想があった(「東京地下鉄道千代田線建設史」より)

大宮、横浜・港北ニュータウンへの延伸構想も

東急、東武との直通が破談となった三田線は、その後も迷走を続ける。北側では都が単独で大宮方面へ延伸する構想があった。東京都営なのに埼玉県を走るというのだ。篠原さんは実際に埼玉まで下調べに行ったという。だが当の埼玉県が慎重姿勢で、実現には至らなかった。

南側では横浜市の港北ニュータウンに乗り入れることが検討された。実際、72年の都市交通審議会答申で三田~白金高輪~港北ニュータウンという延伸計画が打ち出された。横浜市が検討していた地下鉄に接続する構想だった。

なぜ実現しなかったのか。草町義和著「鉄道計画は変わる。」(交通新聞社)はオイルショック後の低成長時代に入り、「港北ニュータウンに3本もの鉄道路線を整備するのは過剰ではないかという考えが支配的になっていた」と指摘する。またもやタイミングが悪かった。

光が差したのは85年。都市交通審議会が三田線と南北線、東急目黒線との直通構想をまとめたのだ。都はこれを受け入れ、00年にようやく直通が実現した。計画浮上から40年。迷走に終止符が打たれた瞬間だった。(河尻定)

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