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歴史博士

梅雨が変えた戦国の歴史 「信長戦記」に新たな視点

2012/7/5

明けそうでなかなか明けない今年の梅雨。東アジア独特の長雨の季節に、日本の歴史は大化の改新、鎌倉幕府滅亡、応仁の乱などたびたび大きく動いてきた。とりわけ縁が深かったのが織田信長だ。戦国時代の流れを決定付けた桶狭間の戦い(1560年)、長篠の合戦(75年)、本能寺の変(82年)などは現在の暦で6、7月に起きている。信長の合戦についても新たな視点からの研究が進んでいる。

桶狭間は正面攻撃の勝利か

永禄3年5月19日(現在の6月12日)に尾張(愛知県)で行われた桶狭間の合戦は、東海3国を領有していた今川義元の大軍を劣勢だった織田軍が破り、信長が頭角を現す第一歩となった。これまでの解釈は今川本陣の休息中に織田軍が北方の山中を迂回奇襲し、乱戦の中に義元を敗死させたというものだ。

「信長記」を中心にして織田信長の戦法や構想を読み解く試みが相次いでいる。

しかし国学院大の藤本正行兼任講師は同時代の史料「信長記(信長公記)」を読み込み、信長軍が今川本陣を正面から攻撃したと従来の説を改めた。

「信長記」は信長近臣の太田牛一が書き記したもので信用性が高いとされる。その中に奇襲攻撃の記述はないという。さらに義元の本陣があったという桶狭間山は標高約60メートルの丘陵で、見晴らしはよく迂回攻撃は考えにくい。合戦の直前に豪雨が織田軍の背中、今川軍の顔に吹き付けた。藤本氏は著書「桶狭間の戦い」(洋泉社)で「雨があがったところで信長が攻撃。撃破された今川前軍の混乱が後方の義元の本陣に波及、全軍総崩れになった」と説く。

金子拓・東大史料編纂所助教は「現代でいうゲリラ豪雨みたいなものだったかもしれない」と予想する。天候の味方だけではなく今川軍の油断もあった。主力決戦を予想していなかったため兵力をかなり分散させていたようだ。

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