職人が作るベビー用品 伝統の技を未来につなぐ
女子力起業(10)
編集委員 石鍋仁美
「全国の職人さんが持つ技で、質の高いベビー用品を作ってもらおう」。アイデアを形にしたら、有名百貨店が相次ぎ取り扱うことに――。「日本の職人さんの技術は世界の宝」だと考える矢島里佳さん(25)は慶大卒業と同時に、彼らの腕を生かした商品を企画・販売する会社を設立。ベビー用品を入り口に、「本物」が分かる大人を増やし、職人の技を未来につなぎたい。そんな思いをビジネスで実現しようと挑む。
伝統と現代、機能とデザインを「和える」
社名は、和える。「あえる」とすんなり読める人は、もはや多くない。広辞苑を引くと「野菜・魚介類などに味噌(みそ)・胡麻(ごま)・酢・辛子などをまぜ合わせて調理する」とある。別々に存在する伝統と現代、機能とデザインを「和える」ことで、新しい価値を生みだしたい。そんな願いを示すとともに、「一人でも多くの日本人に、この言葉を読めるようになってほしい」という思いも込めての命名だ。
扱う商品は現在10種類ほど。自社のホームページでも販売している。一部の商品には「品切れ中」の表示がある。職人が一つ一つ手づくりするため、生産が人気に追いつかないためだ。
この人気商品は「こぼしにくい器」。内側に「返し」と呼ぶでっぱりをわずかに付けることで、食べ物をスプーンにのせやすくした。赤ちゃんや子供には、スプーンを使うことは難しい。こぼす。手を使う。親子ともストレスがたまる。そうした悩みを少しでも解決するデザインだ。
職人が5本のカンナを使い分けて製作
石川県に伝わる山中漆器という器づくりの手法を用いたものは、形状が複雑なため、職人が5本のカンナを使い分けて作っている。通常の器なら、木から削り出すのに2本か3本のカンナを使い分ければ済むそうだ。職人の技と時間を投入した器だ。
山中漆器だけでなく、同じデザインの「こぼしにくい器」を徳島県の大谷焼、愛媛県の砥部焼でも作り、販売している。漆器、陶器、磁器と、それぞれの魅力や特色があるからだ。陶器は割れやすく、子供用品には向かないと普通は考える。しかし「物を乱暴に扱えば割れることを学ぶのも大切。危ないからと遠ざけるのではなく、物を大切に使うことを、食事を通して学んでほしい」と矢島さん。
他にも、「津軽塗のこぼしにくいコップ」(青森県)、「本藍染(あいぞめ)の産着」(徳島県)、「草木染のブランケット」(京都)、「和紙のボール」(愛媛県)など、各地の伝統技術を生かした商品が並ぶ。
「和紙のボール」とは、丸く編んだ籐(とう)の木の中に鈴を入れた後、職人が手作業で繰り返し和紙の原料をからませ、漉(す)いて作る。かなり丈夫だが、籐の木の編み目の間隔が開いているため、指で穴を開けることもできなくはない。それでもいいと言う。小さいころ、障子に指で穴を開け、怒られつつも楽しんだ感覚を、今の子供も味わえるからだ。
周りに伝統品がなさすぎたから求めた
小さいころから伝統工芸に囲まれていた、というわけではない。むしろ正反対だ。東京に生まれ、千葉のベッドタウンで育つ。駅、スーパー、その回りの住宅。「便利さだけを求めた典型的な郊外の町の、核家族家庭」で、伝統的なものや古いものを目にする機会は、ほとんどなかった。自分の手でものづくりをする大人の姿もない。
「なさすぎたから求めた」のだと矢島さんは振り返る。転換点は中学・高校時代に所属した「茶華道(さかどう)部」。茶道、華道を通じ、伝統を持つ物や空間、文化に触れた。大学時代には、自らの海外旅行体験や、留学した友人の話から、ひとつの思いが募ってきた。「外国人たちが皆『日本は伝統的な文化があって、うらやましい』と口をそろえる。しかし私たちは、日本の伝統文化を何も知らない。だから説明もできない」。悔しく感じた。
音楽でも美術でも、学校で学ぶのはほとんど西洋のもの。まず知ろう。伝統工芸品の若い職人たちをルポする記事を書こうと、企画書を手に売り込みに歩いた。幸いJTBの会員誌に採用され、3年間の季刊連載。続いて大手週刊誌で同じ趣旨の連載を毎週1回、3カ月間続けた。
「君は職人を目指すな」 ベテランからの一言
ここで築いた人脈と信頼が、起業の基礎になっている。多くの生産現場で、職人の高齢化という現実を知った。一人前の職人を育てるには10年かかるという。いますぐ若い人が入門したとして、技術の継承が可能かどうか。現実的な危機を、職人の世界は抱えていた。「何とかしなければ」。気持ちは募った。
自分も弟子入りするという選択肢もあった。しかし「君は職人を目指すな」と、ベテランの人たちに言われたという。仮に何かの道で一人前になれたとしても、その技術を守れるだけ。もっと違う「自分の生かし方」がある。そう考えを切り替えた。
「だから『まず起業ありき』ではないんです」。大手企業に就職する道も検討したが、「伝統技術を生かしたものづくり」を担当できる保証はない。担当できたとしても、その企業が扱う特定の分野に限られる。「自分で会社を作るしかない」という結論に至った。
大学卒業と同時に会社を設立
2011年春、慶大法学部を卒業するのとほぼ同時に会社を設立。12年春に最初の商品を発売。13年春には大学院の修士課程も終え、ビジネスに専念する日々が始まった。
自分たちは伝統的なもの、職人が作ったいいものを知らずに育った。赤ちゃんが初めて触れるものが良質のものなら、そうした「本物」を自然に選ぶ大人になるだろう。そう考え、職人たちに、ベビー用品づくりに参加してくれるよう説いて回ったという。
既に信頼関係はある。先行きに危機感を持つ若手の職人たちが協力してくれることになった。外部のデザイナーの力も借りた。「職人が作るものは、高齢者向けの商品が中心で、ベビー用品や子供用品は大手も力を入れていない。チャンスはある」。そうした読みもあった。アイデアを出すだけではなく、発注した商品はいったん全量買い取る。リスクは増えるが、「自分がほしくて作ってもらったもの。買い取るのは当然」だと思っている。
思いを売り場で伝えられる店に出荷先を限定
狙いは当たり、商品を世に出すと百貨店やセレクトショップなどから「扱いたい」という引き合いがたくさん届いた。普通のベンチャー企業なら、よろこんで卸すところだ。しかし矢島さんは、かなりの申し出を断った。なぜ職人か。なぜベビー用品か。そうした思いが売り場で伝えられるところだけに出荷先を限ったのだ。
扱う商品の多くは、実は大人でも使える。一生物として作っているからだ。こぼしにくい器などは、高齢の大人にこそ、むしろ使いやすい。しかし、「通常の食器売り場に置きたい」という申し出は断っている。単なる「いい器」として、他の食器と並べられたくない。それでは物に込めた思いが表現できないからだ。
現在の顧客は女性が多い。年齢層は30代と60代。自分、または知り合いに子供や孫ができたのを機に購入していると考えられる。
売り上げも伸び、昨年は新卒の社員を1人、採用した。製造や販売で社会人経験のある人を採用するという普通の道は、ここでも採らない。ビジネスの常識にまだ染まっていない、若い感性を持つ人と一緒に働きたいと思うからだ。「毎年1人ずつ、新卒の人を採用していく。そんなふうに成長していきたい」。ゆっくり、でもしっかり着実に。会社は自分の子供だと感じる矢島さんは、その将来をそう描く。
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