菊竹が到達した晩年の境地
この屋根の形状を説明するのはなんとも難しい。上から見たシルエットは、あるところは直線、あるところは曲線。切れ目が入ったり、ひねりが加わったりしながらも1枚の面で連続している。
これは一見、恣意的な形にも思えるが、現地を訪れると、この場所に実にうまくはまっているように感じられる。
目につくのは屋根の一部が丸く切り取られていること。ここは屋上に出られる小さなデッキとなっており、この穴から来館者は宍道湖が眺められるようになっている。しかし建物は湖畔に建っているので、屋上に出なくても景色は十分に楽しめる。機能よりも屋根の形にアクセントを与えるための穴だろう。
シンボリックな屋根だが、高さは低い。最高でも15mまでと抑えられている。これは背景の山並みを遮ることがないようにとの配慮からだ。対岸から見ると、銀色の屋根がひと筋の光となって輝いている。環境彫刻のようにも見える。
建築家としてのキャリアの後半に、菊竹はチタン葺きの大屋根を架けた建築をいくつか手がけている。川崎市市民ミュージアム(1988年)、北九州メディアドーム(1998年)、九州国立博物館(2004年)などがそうだが、それらと比べてもこの屋根の存在感は突出している。
初期作品の、理屈でゴリ押しする建築の魅力とも異なり、この建築はただひたすらに美しい。菊竹が到達した晩年の境地を示した建築と言える。
独自の形を採った屋根は、この美術館にひとつのアイデンティティを与えている。田中一光がデザインした美術館のロゴマークも、この屋根の形をひとつのイメージソースにしたものだ。