アーティスト本人が望むと望まざるとにかかわらず、様々な“ライバル関係”が仕立てられ、メディアをにぎわせることがあります。ここ40年ほどのJ-POPの流れを見ても、数多くのライバルが注目を集め、熱いバトルを繰り広げてきました。今回は約260組のライバルたちの中から、J-POPの歴史を彩った代表的な対決をひもといていきます。
「1つのジャンルに席は3つまで」とは、音楽業界でささやかれる人気アーティストの方程式だ。J-POPの歴史は、その“限られた席”を巡って様々なライバルが競い合ってきた積み重ねといえる。70年代の「新三人娘」「新・御三家」に始まり、80年代の「たのきんトリオ」「アイドル四天王」、90年代の「ヴィジュアル系四天王」など。本人たちの意思とは関係なくマスメディアがあおったライバル関係もあれば、お互いに意識しあったライバル関係もある。いずれにせよそうした「くくり」によってファン以外からも耳目を集め、ムーブメントを盛り上げ、音楽シーンを熱くさせたことには違いない。
「漢字+カナ」歌姫、アイドルグループ、K-POPガールズほか、現在起こっているブームにたどり着くまで、どんなライバルがJ-POPを引っ張ってきたのか。40年の歴史をひもといていこう。
プレイバック・J-POPライバル対決の歴史(1979年~2010年)
プレイバック・J-POPライバル対決の歴史(1971年~1978年)
[1976-1978年]
■解散後のセールスから見えてくる人気の構造(元祖女性アイドルグループ対決)
1970年代を代表する2大アイドルグループといえばキャンディーズとピンク・レディー。シングルヒットやレギュラー番組の数は、ピンク・レディーのほうが多いが、解散後のアルバムヒット数はキャンディーズが多い。これは、ピンク・レディーが10曲目のシングルまでに大ヒットが集中しているのに対し、キャンディーズは、初のトップ10入りが5曲目の『年下の男の子』、最大ヒットが17曲目の『微笑がえし』と、人気絶頂のまま解散したことが衝撃的だったからだろう。ピンク・レディーが女子小中学生を中心とした人気だったのとは対照的に、キャンディーズは男子大学生のファンが多かったことも影響していそう。共に5年足らずの活動だったが、ピンク・レディーはその後5度にわたって再結成し、現在もスレンダーな体形で活動中。キャンディーズは、再結成することなく、メンバーの田中好子が2011年、帰らぬ人に。
(表中の*1~*10の注釈や数値の説明は本記事の最後にまとめた「表の補足」を参照。以下同様)
[1978-1995年]
■自作自演のみならず提供曲でもチャートをにぎわす実力派(3大シンガーソングライター対決)
1970年代から活動し、現在も着実にヒットを飛ばす3人の女性シンガーソングライター。自身のシングルやアルバムだけでなくアイドルなどへの提供楽曲もヒットが多い。なかでも、中島と松任谷は、70年代から80年代にかけて、雑誌やラジオで“みゆきVSユーミン"と特集されることが多かった。竹内は、夫・山下達郎がプロデュースした1984年以降、幅広い女性に支持を広げた。シングルヒットは、鋭い視点の中島が、1970年代~2000年代の各年代でチャート1位を獲得、アルバムヒットは、時代を先取りしてきた松任谷が多く、1988~1995年にミリオンヒットを連発した。また、竹内は寡作ではあるが、首位獲得時の年齢を更新中だ。ちなみに、3人とも早生まれ。ラジオのトークは三者三様で面白い。
[1982-1989年]
■陽と陰のキャラでクラスの人気を二分した聖子と明菜(2大女性アイドル対決)
80年代において、ヒットチャート頂上決戦でアイドルブームを引っ張っていたのが松田聖子と中森明菜。聖子のデビューが2年早いが、ともに2ndシングルでブレイク(聖子は『青い珊瑚礁』、明菜は『少女A』)。明るくさわやかな聖子のファンと、陰りやすごみのある明菜のファンは、学校のクラスでも派閥が分かれるほどだった。シングルやアルバムのヒット数はほぼ互角だが、聖子は、実績あるシンガーソングライターを起用し、アイドルにして初めてアルバムのメガヒットを連発。対する明菜は、ブレイク前の若手や異ジャンルのアーティストを積極的に登用するなど、保守VS革新という構図だった。90年代以降、聖子はドラマやCMのタイアップで何度も返り咲いてヒット、明菜はカバー作品が好評に。いずれも、CD&DVDのBOXやディナーショーのチケットが高額でも売れるほど、現在も熱いファンに支えられている。
[1995-2000年]
■カラオケブームを加速したハイトーンボイス歌姫(小室哲哉プロデュース対決)
90年代半ばをピークに数多くのヒット曲をプロデュースした小室哲哉。“TKプロデュース”のアーティストが、週間ヒットチャートトップ10のうち半数近くを占めることも珍しくなかった。25万枚超のヒットシングル数は、globeと安室奈美恵が肩を並べ、なかでも安室は5作がミリオンヒット。シングルが25万枚を超えるヒット率が8割以上と高く、当時の“アムラー現象”の勢いを物語っている。また、アルバムもglobeは400万枚以上、安室は300万枚以上、そして華原やTRFは200万枚以上と、メガヒットを連発。しかし、TKプロデュースを離れて、セールスが急落したパターンも少なくない。その中で、現在もヒットを連ねる安室奈美恵のほか、TK時代はさほど中心的存在ではなかったhitomiが、『LOVE2000』などメッセージ性の強い楽曲で2000年以降再ブレイクしたのは興味深い。
[1998年-]
■J-POP史に残るカリスマが続々登場の奇跡の年(1998年デビュー組対決)
1年を通して、次々と有力女性アーティストがデビューした1998年(ほかにKiroro、モーニング娘。も)。R&Bというジャンルを日本に定着させたMISIAがファーストアルバムでWミリオン(200万枚)、挑発的な巻き舌ボーカルや文学的な歌詞で徐々に人気を集めた椎名林檎がデビュー2年後にアルバムがWミリオン達成など、個性的なアーティストが多いのが特徴だ。セールス面では浜崎あゆみと宇多田ヒカルが突出し、2001年3月28日には、両者のアルバム(宇多田は2nd『Distance』、浜崎はベスト盤『A BEST』)が同日に発売され、ニュース番組で報道されるほど大きな話題に(ちなみに、オリコンアルバムチャートでは両者とも週違いで1位を獲得)。消耗の早い女性歌手の中で、この5組はデビューから10年以上たつ現在もアルバムチャートのトップ3に入るヒットを飛ばしている脅威の世代だ。
【表の補足】
表中に付けた注釈の内容は以下の通り。*1…最初の解散までを対象とする *2…シングルセールス25万枚以上 *3…シングルオリコンチャート1位獲得数 *4…メインのテレビレギュラー番組数 *5…デビュー時 *6…シングル25万枚以上のヒット *7…楽譜や歌詞集メインのものは除く *8…シングルもしくはアルバムで、直近で1位になった時期と年齢 *9…アルバム50万枚以上のヒット *10…25万件ダウンロード(プラチナ認定)以上
データの出典…レコード、CD 売り上げはオリコン調べ(2011年5月1日付まで)。着うたは日本レコード協会認定。ヒット作には、コラボシングルやベスト盤、リミックス盤も含める。また同一楽曲の種類違いの売り上げは合算して1作としてカウント
(日経エンタテインメント! 吉岡広統、ライター つのはず誠)
[日経エンタテインメント!2011年7月号の記事を基に再構成]
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