若者の街シブヤは「おとなの街」になれるかクリエイティブ・ディレクター 仲原正治

当時の渋谷は、若者の街という感じではなかった。家族連れでデパートに買い物に来て、映画を見て、デパートの食堂などで食事をするというのが一般的だった。映画「ALWAYS三丁目の夕日」に描かれている世界そのものである。

渋谷は、ほのぼのとした時代を代表する街だった。新宿の「紀伊国屋」と肩を並べるほどの規模を誇った書店「大盛堂」もあり、高校生の頃、よく通った。

その後、1968年(昭和43年)に西武百貨店が渋谷に進出する。これによって東急と西武の開発競争、若者文化を中心としたイメージ競争が始まることになる。

左から西武百貨店(1)、パルコ(2)、ロフト(3)
公園通り。坂を上っていくと代々木公園までつながる(撮影:2011年10月11日)
スペイン通り(坂)。通りにある喫茶店がスペイン風の内装だったことから名付けられた(撮影:2011年10月11日)

西武百貨店は池袋が拠点であり、西武美術館(現在は閉館)などを併設するなど、物を売るだけではなく、生活文化を売るという姿勢を打ち出してきていた。そうした戦略の一環として、劇場を併設した新しい形態の専門百貨店であるパルコを1973年に渋谷で開業した。物販だけという専門百貨店の常識を超えたパルコの誕生に合わせて道路名も「公園通り」という名前に改称した。「スペイン通り(坂)」というしゃれた名前もその当時に付けられた。

その後も、道玄坂や公園通りの近辺は、西武と東急がしのぎを削る競争をしてきた。東急は1989年に東急百貨店本店の隣に大型複合文化施設「Bunkamura」をオープンさせた。約2000人収容のコンサートホール(オーチャードホール)を中心にミュージアムなども複合させ、新しい文化の発信基地とした。東急本通りはその時に「文化村通り」に改称している。

左から東急百貨店本店(1)、Bunkamura(2)、東急ハンズ(3)。いずれも2011年10月11日撮影

東急と西武の戦いは、東急ハンズとロフトという、百貨店とは違った分野でも展開された。いずれにせよ、東急と西武のこれらの競争が、渋谷の街の活性化を促してきたことは間違いない。

若者が支えるSHIBUYA 109とセンター街

若者のファッションをけん引してきたのは「SHIBUYA 109」だ。1979年に開業し、1989年に現在の名前に改名された。8階建てで延べ面積1万平方メートル程度のビルだが、約120の店舗がひしめく。今でも新しいファッションを求めて若者が訪れる“ファッションの聖地”である。場所が道玄坂の入り口にあることもあって、渋谷駅前のスクランブル交差点からも見える。立地条件が良いことも一因となって、現代の日本の若者ファッションをけん引している。ターゲットは中高校生が中心。さすがに中年の筆者は踏み込みにくい。

一方、渋谷センター街には近年、ファストフードや大型レコード店、ゲームセンターなど様々な店が集積し、中高生が多く集まるようになった。センター街の名前の由来は、調べてもよくわからなかったが、渋谷の中心(センター)を目指した商店街だったからではないだろうか。

このセンター街からは「ガングロ(顔黒)」「チーマー」といった風俗というか流行現象が生じた。この流行と同時に、「怖い街」のイメージも定着してしまった。商店街はパトロール隊を組織し、防犯活動を活発化させるとともに、違法看板の撤去、路上での客引き行為の禁止などを打ち出し、指導をしてきたが、なかなかイメージの回復には至らなかった。このため街の名前を変えるという決断をする。2011年9月26日にセンター街のメーンストリートを「バスケットボールストリート」(通称:バスケ通り)に改名した。

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