鉄板でふさがれた地下通路
今は見る影もない東京の川。どこかに痕跡は残っていないか、川跡をたどってみた。
比較的有名なのが、新橋と京橋にある橋の親柱だ。地名の由来となった橋の柱が今も残っている。新橋の親柱は銀座ナインの前にある。ロケットのような独特の形が時代を感じさせる。
三十間堀川は、前回取り上げた「三原橋地下街」のあたりに痕跡が残る。築地川は築地市場の周辺で何カ所か橋の跡があった。中でも小田原橋は場外市場の店舗の下敷きになっていて、何とも奇妙な光景を作り出していた。
この築地川の支流を歩いていたら、ちょっと怪しい空間に出くわした。それも何カ所もある。道路や公園の途中で、地下に向かって道路が延びているのだ。通路には入れないようになっていて、その先には何とも不気味な闇が広がる。
地下通路があるのは築地市場のやや北東にある門跡橋(もんぜきばし)や築地川公園の周辺、そして新富町出口の先にある入船橋の下。なかでもこの入船橋の下にある「多目的広場」は、不可解さが想像をかき立てる。一見すると子供の遊び場だが、昼間は警備員が立っていて入れない。放課後など時間を区切って開放しているようだ。しかもバスケットのゴールの後ろは鉄板でふさがれ、地下に通じる謎の通路がある。ここは何なのか? 中央区に聞いてみた。
「あれは道路なんですよ。中央区役所の前にある首都高速道路の新富町出口から多目的広場の前後を通って築地川公園の下へと延びているんです。でも実際に使われたところを見たことはありません」。担当者がささやく。「計画はずいぶん古くからあるのですが、まだ開通していないんです」。
問題の道路は「首都高10号線(晴海線)」。40年以上前に計画が持ち上がり一部は整備が進んだが、財政上の理由などから進展せず、塩漬けされた。道路は一部完成したものの使われず、地下に通じる通路は危険防止のためフェンスや鉄板などで覆われた。都会の真ん中にあるミステリースポットは、こうして生まれたのだ。
時代の要請に合わせ、東京は改造を繰り返してきた。番外地や謎の地下道は、その過程で生まれたひずみなのかもしれない。
(電子報道部 河尻定)