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東京ふしぎ探検隊

2013/9/20

東京ふしぎ探検隊

東京は「水の都」だった 五輪で道路に変貌

五輪は街のあり方も変えた。川の街から道路の街へ、強引に改造したのだ。

五輪前、東京都心部には数多くの川が流れていた。京橋川、桜川、築地川、紅葉川、三十間堀川……。これらはすべて、首都高や幹線道路の用地となった。日本橋川のように川の上を高架道路が覆ったケースもあった。

東京の川の大半は運河で、江戸時代に水運のために開削された人工的なもの。「水運が廃れ、鉄道や車など陸運へと変わっていく中で、必然的に消えていった」(中央区立京橋図書館地域資料室)側面は確かにある。

しかし渋谷川や宇田川のようにもともとあった川も五輪を機に暗渠(あんきょ)となった。童謡「春の小川」のモデルともいわれる川だ。関東大震災、終戦後に続く3回目の大規模な都市改造によって、「水の都・東京」は完全に姿を消した。

道路拡幅で都電も消えた

道路整備で消えたのは川だけではない。都電も一部が撤去された。

皇居堀端にある三宅坂から渋谷まで走る青山通り。現在、国道246号の一部となっている道路にはかつて、路面電車が走っていた。都電青山線だ。青山一丁目、同三丁目、四丁目、五丁目などの停留所があった。

五輪開催を前に、青山通りはメーン会場である神宮と駒沢をつなぐ大動脈と期待された。道路は拡幅されることとなり、「工事を急ぐため電車は撤去すべきだ」との声が高まったという。1963年(昭和38年)9月、青山線は正式に廃止となった。

青山通りは前回の東京五輪前に拡幅された

都電はその後、同年中に杉並線、1966年に志村線が廃止された。いずれも地下鉄開通の影響だった。特に1967年から1972年にかけて集中的に撤去され、現在は荒川線だけが残っている。

地名、川、都電。前回の東京五輪は多くのインフラを生み出し、繁栄の礎を築いた一方で、歴史の痕跡を消し去った。2020年の東京五輪は何を変え、何を残すのだろうか。(河尻定)


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