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東京ふしぎ探検隊

2012/7/20

東京ふしぎ探検隊

東急線、幻の新宿延伸計画

東急東横線の渋谷駅。かつて新宿まで延伸する計画があった

副都心線との直通運転によって新宿に乗り入れる東急東横線。実は約100年前、既に新宿への延伸が計画されていた。

森口誠之「鉄道未成線を歩く 私鉄編」(JTBキャンブックス)によると、東急のルーツの1つ、武蔵電気鉄道が1912年(大正元年)、祐天寺から新宿までの新路線敷設免許を受けた。その後、五島慶太氏が計画を引き継ぎ、一時は新宿駅の整備計画にも組み込まれていく。1933年(昭和8年)にまとめられた新宿駅の開発計画図には、東横電鉄(現・東急)の新宿駅ホームがしっかり確保されていた。しかし結局実現には至らず、東横電鉄の新宿駅予定地はいま、京王線の地下ホームになっている。

第2の山手線「東京山手急行」の痕跡が明大前に

幻の路線計画といえば、第2山手線ともいわれた東京山手急行がある。大井町から洲崎(現在の東陽町)まで、山手線の外側を走る大路線だ。

約90年前に華々しく計画が持ち上がり、免許を取得した。竹内正浩「地図と愉しむ東京歴史散歩」(中央公論新社)によると、きっかけは関東大震災。焼け出された人々が郊外に移り住んだものの、当時は山手線のターミナル駅から放射線状に延びる私鉄線しかなく、郊外同士を結ぶ環状線がなかった。そこで持ち上がったのが山手急行だった。

銀行家の太田一平氏が中心となって計画が進み、1927年(昭和2年)には東京山手急行電鉄を設立。社長には小田急電鉄の創始者、利光鶴松氏が就いた。計画は何度もルート変更を行い、実現を模索したが、結局資金難から頓挫してしまった。

実はこの路線、1カ所だけ痕跡が残っている。場所は明大前。京王井の頭線の駅の近くだ。

明大前駅近くの橋の下には、現在使っている2本のレールの横に、さらに2本分の線路を敷設できる場所(左)が残っている

明治大学和泉キャンパスのすぐ近くに、旧玉川上水の水道橋がある。この橋の下をよく見てみると、2本分の線路を敷設するスペースが確保されているのがわかる。これが山手急行の痕跡なのだ。ここを新路線が通る予定だったという。計画頓挫前に行った唯一の工事だった。

山手線の外側で、住宅地をつなぐ環状線計画は現在もある。赤羽から葛西臨海公園まで、環状7号沿いに地下を走る「メトロセブン」、環状8号に沿って羽田空港から赤羽までを地下で結ぶ「エイトライナー」だ。多くの路線と乗り換えができるとあって周辺住民の期待は大きいが、膨大な建設費が壁となり、実現への道は開けていない。

いつの世も、鉄道の敷設は人々の夢を集めてきた。しかしその一方で、運行管理や資金難などの問題も顕在化している。夢と現実のはざまで、首都圏の鉄道網はどのような変化を見せていくのだろうか。(河尻定)

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