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サムライブルーの起源は東大? サッカー伝来の地は…

2014/6/20

「サムライブルー」の源流は、英国の大学につながっていた(英オックスフォード大学)

日本色彩研究所編「新色名辞典」によると、両大学の色はそれぞれ「オックスフォードブルー」「ケンブリッジブルー」という名前で呼ばれている。こちらも由来はボートレースだという。

ケンブリッジブルーについては、経緯が伝わっている。1836年に行われた両大学対抗のレースで、ケンブリッジの船が船首に付ける旗を忘れ、急きょライトブルーのスカーフで間に合わせたという。このときの色がその後も使われるようになり、ケンブリッジブルーの名がついた。

実はこの色、それまでは「イートンカラー」と呼ばれていた。英国のパブリックスクール、イートン校の色として15世紀から使われてきた。サムライブルーの源流は、なんとイートン校にまでさかのぼることができるのだ。

オックスフォードブルーにも同様の説がある。こちらはケンブリッジより少し早く、1829年に初めて使われたようだ。

ちなみに東大のサッカー部は正式名称を「東京大学運動会ア式蹴球部」という。「アソシエーション・フットボール」からきている。これについては同じ電子版の連載「ことばオンライン」の5月の記事「サッカーとフットボール、どちらの呼び方が正解?」が詳しい。

東大ア式蹴球部は日本で最も歴史のある大学サッカー部だ。設立は1918年(大正7年)。後に日本サッカー協会会長となる野津謙氏が創設した。日本サッカー界の重鎮、岡野俊一郎氏も出身者だ。

■サッカーは東京・築地に伝来

東京・築地の国立がん研究センター敷地内には、「海軍兵学寮跡」と書かれた記念碑があった

日本にサッカーが伝わったのは1873年(明治6年)。日本サッカー協会によると、英国海軍のダグラス少佐が東京・築地の海軍兵学寮(後の海軍兵学校)で日本海軍の軍人たちに教えたのが最初だといわれる。サッカー伝来の地は築地だった。

当時の築地は、海軍の一大拠点となっていた。明治初期には海軍省が置かれ、海軍大学校、海軍兵学校、海軍経理学校など数々の施設があった。現在でいえば、ちょうど築地市場や国立がん研究センターがある一帯だ。がん研究センター内には「海軍兵学寮跡」と書かれた記念碑がある。

日比谷公園から築地まで通る「みゆき通り」

銀座を走る「みゆき通り」も、海軍にちなむ名前だ。明治天皇が皇居から海軍兵学校に向かう行幸(みゆき)の際、通った道だという。がん研究センターの間近まで延びている。

ではなぜ、築地に海軍なのか。そこで登場するのが勝海舟。築地にはかつて、勝海舟が頭取を務めた軍艦操練所があったのだ。このことから築地は海軍発祥の地、と呼ばれることもある。

築地はサッカーのほか、様々なものの「発祥の地」でもある。かつてここには外国人居留地があり、雙葉学園や女子学院、明治学院などの学校が生まれた。慶応義塾も築地生まれだ。この辺りの話は「慶応もサンタも築地出身 魚の町は『発祥』の宝庫」に詳しく書いた。

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