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東京ふしぎ探検隊

2013/4/19

東京ふしぎ探検隊

東京都、地下街閉鎖の方針伝える

最後の上映を終え、閉館となった銀座シネパトス。最終日には大勢のファンが詰めかけた(3月31日夜)=共同

三原橋地下街は、今なお昭和の香り漂うレトロな空間だ。長年その顔となってきたのが映画館「銀座シネパトス」。前身の「銀座地球座」時代を含め46年間、三原橋地下街で営業してきた名物映画館だ。

3月31日、シネパトスは多くのファンが見守るなか、幕を閉じた。耐震性の問題から東京都が三原橋地下街を閉鎖する方針を伝え、年度末での閉館を決めたという。

一部で営業を続ける飲食店があるものの、理髪店や飲食店など大半が店を閉めた。関係者に話を聞いたところ、地下街の管理会社に対し、東京都から立ち退き要請があったという。

立ち退き条件などが合意できておらず、東京都は「まだ正式にいつ閉鎖と決まったわけではない」としている。しかし開業60年を超えた地下街は耐震性の問題があり、都の閉鎖方針は変わらないようだ。

今も残る三原橋の橋桁

三原橋地下街の出入り口に立つと、天井が不思議な形をしているのが分かる。アーチ状になっているのだ。かつて架かっていた三原橋の橋桁がそのまま残っている。

東銀座周辺にはかつて三十間堀川が流れ、三原橋という橋が架かっていた。終戦後、戦災で生じたがれきの処分先として川は埋め立てられたが、なぜか橋桁だけが残った。1952年(昭和27年)に露天商を収容する目的で地下街を造った際も、橋桁を残したまま開業した。

どこの駅ともつながっていない不思議な構造の三原橋地下街だが、実は50年ほど前に別の場所に移転し、銀座駅とつながるはずだった。どういうことか。

「東京地下鉄道日比谷線建設史」に経緯が詳細に記されている。要約すると、次のようになる。

1960年代に地下鉄日比谷線を建設する際、当時の帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)は、銀座から東銀座までの間の地下を4層構造とした。三原橋地下街を地下1階とすると、その下の地下2階部分を通路とし、地下鉄は地下4階を走る。地下3階部分には広大な空間を造った。

日比谷線開通後、地下街を管理する東京都が橋桁を撤去し、同時に地下街に入っていた店舗を新たに整備した空間に移す段取りだったようだ。

しかし、思わぬ壁が待っていた。

三原橋地下街の出入り口の天井には、アーチ状の鋼材が見える。これが三原橋の橋桁だ。かつてこの下を川が流れていた
レトロな雰囲気が漂う三原橋地下街。銀座シネパトスがあった場所には、多くの人がメッセージを書き込んでいた。閉店した店も目立つ
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東銀座の地下に「幻の地下街」
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