保育園探し「どこかに入れる」は幻想だった
待機児童の実態(1)
私と夫には、きっと一生忘れられない光景がある。
1歳2カ月だった息子が、仁王立ちになって両手をぎゅっと握りしめ、絶望の果てのように天井をにらんだままワーワーと泣いているのだ。私と夫のところまで10歩も歩けば到達し、私たちが抱きしめてあげられるのに、大人の腰の高さほどの保育壁に隔てられて、息子はその場から動くこともできずにただ泣き続けていた。
保育園に預け始めて10日目のこと。普段なら、泣いていても私たちのところに駆け寄ってくる息子のこの姿を見て、私は帰りの自転車で涙が止まらなかった。
■保活は「初めて」と「戸惑い」の連続
結婚後も連日、深夜残業を続け、バリバリ働き続けていた私は、夫より帰りが遅くなることの方が多いくらいだった。そんな中で分かった突然の妊娠。タクシー1メーターでおいしい店に飲みに行ける都心の暮らしを離れ、私たちは、緑が多く、子どもに優しい区に引っ越し、自然派の産院も見つけ、それまでとは180度違う新たな生活を楽しもうとしていた。
2011年1月に産まれた慶太(仮名)のお祝いに来てくれた先輩ママからは「早生まれだから、保育園を見つけるのは大変だね」と言われたものの、周りに早生まれの人がいなかったのでピンと来なかった。「そうですね。でも早めに保育園探しを始めるし、どこかには入れるでしょう」と何気なく言葉を返した。
引っ越し先は、子育て支援も充実していて、大きな公園も多い区。街の人は優しくて、赤ちゃんを連れて買い物をしていると店の人が声を掛けてくれたり、率先してスーパーの荷物を詰めてくれたり。里帰り出産もせず、両親の手伝いもほとんど得られなかった私にとって、地域の人や引っ越してからできたママ友の存在は本当に支えになった。
そして、すっかり暖かくなった5月。3月の東日本大震災の影響もあって、やっと慶太を外に連れ出せるようになり、いよいよ保活(保育園探し)を開始。出産から丸1年後の1月の復帰を目標に、まずは区役所に聞きに行こうと、慣れない中を電車に乗ってベビーカーを押して役所へ向かった。
「早生まれじゃ無理ね」と窓口であしらわれる
担当窓口の年配女性は、威圧的な態度が鼻につく人だった。突然、去年の申し込み人数リストが印刷された紙を突き付けられ、「去年の4月入園では、1歳児300人の枠に700人以上が殺到したの。0歳のクラスならまだマシだけど、早生まれじゃきっと無理ね」と冷たくあしらわれた。それでもなんとか認可保育園の申し込み用紙や説明書と認証保育園のリストをもらったところで、外出に慣れない息子の大泣きが始まり、慌てて撤収。
抱っこもベビーカーも嫌がられて、新米ママはあたふたするばかり。周りの職員は何の手助けもしてくれなかった。「授乳室はありませんか?」と聞いても「トイレはあちらです」と言うだけ。とにかくなんとか慶太を外に連れ出して落ち着かせ、肩を落として家路に着いた。
もらった保育園リストや地図を見て、徒歩20分圏内にある保育園をチェック。慶太が寝ている合間に、保育園に電話をかけては見学予約をする日々が続いた。
そして、認可保育園4件、認証保育園4件、認可外保育園3件、合計11件の保育園に足を運んで見学。『働く女性の妊娠と子育て~』といった本を片手に、保育園のチェックポイントなども学んだが、実際に気になったのは、園の広さ、遊具の有無・種類、庭の有無、先生の雰囲気。認可外や認証を見て、昼食や1クラスの人数もチェックした。認可保育園の充実した庭や、年齢ごとに分かれた部屋での保育は素晴らしいと感じたり、アパートの1室のような認可外を見て、「こんな場所で子どもが安全に楽しく遊べるのだろうか……?」と首をかしげたりすることも。
認証保育園では、ギリギリのスペースに2学年分の園児を詰め込んでいるような園から、認可より恵まれているのではと思えるほどきれいに管理された園舎に遊具の多い庭が整備された園まであり、いったい何が認証で何が認可なんだか、私の中の線引きが混乱するほどだった。
「保育園を選ぶ」気持ちが甘かった
見学行脚中、心の中ではいつも「どこかの認可には入れるよね」という望みがあり、認証や認可外にも申し込みをしたものの「認可保育園にも申し込む」という欄に、堂々と丸を付けていた。マニュアル本にあったように「保育園を選ぶ」気持ちで臨んでいたこと自体が、今思えばあり得ないことだった。でも、当時の私はまだそれに気付かず、生後3~4カ月の息子を連れて見学に行くだけで精いっぱいの日々。甘いと言えば甘いのかもしれないが、見学に足を運び、保育園のサイトを見て探す以外の知恵が浮かばなかった。
最終的に認証保育園や認可外保育園8件に名前を登録し、早ければ12月から入園ということでウエイティングリストに入れてもらい、保活も一段落。周囲のママ友には専業主婦が多く、少し孤独な保活期間を終えた。
そして11月。上司から「一度会って、復帰について話そう」という連絡が入った。産休から約1年経ち、そろそろ仕事を始めたいと思い始めていた頃でもあった。カフェで会った上司には「1月復帰を目指しています。もし12月から保育園に入れたら、12月から復帰します。最初は認可外かもしれませんが、たくさん申し込んでいるので1つくらいには入れるはずです」と勢いよく宣言し、人手不足の現場を心配していた上司にも安心して帰ってもらえた。
届くのは不許可通知ばかり、迫る復職の時期
しかし、12月になってもどの園からも連絡なく、認可の申し込みを出していた区役所から届いたのは「不許可通知」のみ。認可保育園5カ所に加え、2歳までの保育室の申し込みもしていたのに、1件も入園が認められず。申し込んでいた認証園や認可外園にも改めて電話したものの、どこも「空きがありません」の一言で一蹴された。
さらに3件ほど申し込みをしたものの、もちろん空きはなく、「空いたらとにかく電話をください」とだけ伝えて待つことしかできなかった。
上司にも「とにかく保育園に入れません。4月にはどこかには入れると思うのですが」と謝罪の電話を入れた。「子どもと過ごせる時間が長くなって良かったね」というママ友の声もむなしく、不安が募るばかりだった。(第2回に続く)
(ライター 内藤智子)
[日経DUAL2013年11月28日掲載記事を基に再構成]
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