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東京ふしぎ探検隊

東京・夢の島、名前の由来は海水浴場 空港計画も

2013/11/15

■夢の島、ハエ・ゴミ戦争で一躍有名に

夢の島焦土作戦。ゴミに重油をかけて焼いた(「東京都清掃事業百年史」より)

しばらく放置されていた夢の島だったが、1957年(昭和32年)、ようやく用途が定まる。ゴミの処分場になったのだ。それまでは8号埋め立て地、現在の江東区潮見が処分場だったが満杯になり、新たな場所を探していた。

当初は他の埋め立て地同様、粛々と作業が進められていた。ところが夢の島の名前が一気に全国区になる日がやってくる。1965年(昭和40年)6月。江東区南部でハエが大発生したのだ。その発生源が、夢の島だった。

江東区と東京都はすぐさま対策に乗り出した。「東京都清掃事業百年史」によると、この「夢の島焦土作戦」には消防庁と自衛隊が出動。大量の薬剤をまき、重油をかけてゴミを焼いた。当時の担当者は「百年史」で「消火を専門にする消防職員が目を輝かして放火して歩き…」「まるで真昼の悪夢」と異常事態に臨む当時の気分を述懐している。

ゴミ問題はその後、さらなる広がりを見せる。東京都のゴミの大半が集まることに対して江東区が反発。新たな処分場の建設を拒否する声明を出したのだ。

江東区議らが杉並区から来た清掃車を追い返した(「東京都清掃事業百年史」より)

これに対して東京都は1971年(昭和46年)9月、当時の美濃部亮吉知事が都議会で「ゴミ戦争」を宣言。都内各地への処分場分散を提唱する。この演説原稿を書いたのが作家の童門冬二氏。当時は都の広報室長だった。

こうして都内各地に清掃工場を建設することが決まった。しかし杉並区では住民の反対で清掃工場の建設が進まない。これに江東区民が猛反発し、1972年(昭和47年)12月と1973年(昭和48年)5月、ついに実力行使に出る。杉並区の清掃車の前に区長や区議らが立ちはだかり、追い返したのだ。ゴミ問題は全国的な論争を巻き起こした。

両区はその後和解し、杉並区の清掃工場は1983年(昭和58年)に稼働した。ゴミ処理場の江東区への集中は緩和され、「ゴミ戦争」はひとまず終わった。

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