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東京ふしぎ探検隊

2013/11/15

東京ふしぎ探検隊

ゴミ処分場、江戸時代からあちこちに

東京湾でゴミが埋められたのは、夢の島だけではない。江戸時代から続く長い歴史があった。

「東京港史」によると、最初にゴミ処分場となったのは永代島。現在の富岡八幡宮のあたりだという。その後、越中島などの低湿地帯にも広がっていった。

大正時代には、現在の小石川や本郷、麻布、赤坂、神田、日本橋などにも処分場があったという。しかし都市部が過密化していく中で、次第に東京湾が埋め立ての中心地となっていく。

江戸時代のゴミ処分場。斜線内の場所が埋め立てられていった(「東京港史」より)

14号埋め立て地と呼ばれた夢の島が満杯になると、15号の一部が次の埋め立て地となった。当時は「新夢の島」と呼ばれていた。新夢の島は現在、東京ゲートブリッジのたもとにある若洲海浜公園となっている。

いま、ゴミの最終処分場となっているのは東京湾にぽっかり浮かぶ中央防波堤埋め立て地だ。江東区と大田区に橋とトンネルでつながっている。

この中央防波堤、実は正式な帰属が定まっていない。江東区と大田区がそれぞれ帰属権を主張しているのだ。江東区はこれまでゴミの受け入れに苦労してきた経緯を訴える。「江東区民の犠牲の上にできた埋め立て地は当然、江東区に帰属すべきだ」

一方、大田区は「この地でかつてのりの養殖をしてきた」と歴史的経緯を説明する。固定資産税は東京都の管轄のため、どちらの帰属になっても区の税収には影響しないが、土地の活用法への発言が強まる。解決の糸口はまだ見つかっていない。

明治以降のゴミ処分場の変遷。塗りつぶしてある場所が埋め立て地となった(「東京港史」より)
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