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東京・夢の島、名前の由来は海水浴場 空港計画も

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NIKKEI STYLE

東京都江東区の夢の島といえば、ゴミを埋め立てて造った人工島というイメージがある。しかし初めからゴミ処分場として埋め立てられたわけではない。実は戦前、ここに世界有数の国際空港ができる予定だった。夢の島はなぜ夢の島と呼ばれたのか。その理由を探っていくと、東京湾の歴史が浮かび上がってくる。

夢の島は空港建設のために埋め立てられた

夢の島の歴史を記す文書はそれほど多くはない。数少ない資料が江東区が編さんした「江東区史」と、東京都港湾局がまとめた「東京港史」だ。

夢の島の埋め立ては昭和初期に浮上した「東京港修築事業計画」の中で進められた。東京湾にたまった土砂を取り除き、大型船に対応する事業だ。取り除いた土砂を使って埋め立て地を造成する。生まれた土地の利用法として真っ先に挙がったのが飛行場だった。

その名も「東京市飛行場」。1938年(昭和13年)に正式決定した、水陸両用の飛行場だった。どんな空港だったのか。

総面積は約251ヘクタール。東京ドーム54個分に相当する。現在の東京国際空港(羽田空港)の1522ヘクタールと比べると小さく感じられるが、当時としては世界最大級だったという。滑走路は3本整備する予定だった。

国立公文書館で調べてみると、飛行場新設にあたって各国の飛行場を比較した文書が残っていた。それによると、当時世界最大級といわれたドイツ・ベルリンのテンペルホーフ空港が140ヘクタール。新空港はこれをはるかにしのぐ。ちなみに当時の羽田空港は53ヘクタールで、滑走路も1本だった。

それにしても、なぜ羽田空港があるのに新空港なのか。

羽田より近いメリット 半分ほど埋め立てられた段階で中止に

「江東区史」は羽田が都心から遠いことを指摘する。羽田は東京駅から18キロ。これに対して新空港はわずか6キロ。この差は当時、大きかった。

さらに「飛行場の拡張性に限界があった」。当時、羽田空港の隣接地は工場地帯になると想定されていた。ある程度は拡張できても、飛行機が大型化する中ではより広大な空港が求められていた。

1939年(昭和14年)7月には起工式が行われ、埋め立てが始まった。しかし日中戦争勃発で物資が不足し始めると、工事は滞った。当初の予定では1941年(昭和16年)の完成を見込んでいたが、ずるずるとずれ込み、中止へと追い込まれていく。「東京港史」によると、全区域の50%が干潮時に1~3メートルほど露出する段階で工事は終了した。

戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が羽田空港を拡張・整備する方針を示したことで、新空港計画は完全に消滅した。「東京港史」によると、周辺住民に対して、接収してから48時間以内に立ち退くよう通告するなど、かなり強引に拡張を進めたようだ。

東京駅に近い広大な国際空港。完成していたら、成田国際空港はできなかったかもしれない。成田闘争もなく、東京の重心は東寄りになっていたかも……。東京という都市そのものが大きく変わっていたに違いない。

海水浴場が名前の由来

空港が予定されていた当時、現・夢の島はまだ「江東区南砂町地先」という仮の名前しか与えられていなかった。「夢の島」という名称はいつ、どんな理由で付けられたのだろうか。

「東京のハワイ」が誕生します――。1947年(昭和22年)夏、「南砂町地先」に海水浴場がオープンした。目指すはハワイのような夢のあるリゾート。この海水浴場の名前が、「夢の島海水浴場」だった。

戦後の窮乏期とはいえ、海水浴場はにぎわったという。しかし開設からわずか3年で閉鎖されてしまう。度重なる台風被害と財政難が理由だった。東京湾に残っていた最後の本格的海水浴場は、「夢の島」という名前を残して姿を消した。

夢の島、ハエ・ゴミ戦争で一躍有名に

しばらく放置されていた夢の島だったが、1957年(昭和32年)、ようやく用途が定まる。ゴミの処分場になったのだ。それまでは8号埋め立て地、現在の江東区潮見が処分場だったが満杯になり、新たな場所を探していた。

当初は他の埋め立て地同様、粛々と作業が進められていた。ところが夢の島の名前が一気に全国区になる日がやってくる。1965年(昭和40年)6月。江東区南部でハエが大発生したのだ。その発生源が、夢の島だった。

江東区と東京都はすぐさま対策に乗り出した。「東京都清掃事業百年史」によると、この「夢の島焦土作戦」には消防庁と自衛隊が出動。大量の薬剤をまき、重油をかけてゴミを焼いた。当時の担当者は「百年史」で「消火を専門にする消防職員が目を輝かして放火して歩き…」「まるで真昼の悪夢」と異常事態に臨む当時の気分を述懐している。

ゴミ問題はその後、さらなる広がりを見せる。東京都のゴミの大半が集まることに対して江東区が反発。新たな処分場の建設を拒否する声明を出したのだ。

これに対して東京都は1971年(昭和46年)9月、当時の美濃部亮吉知事が都議会で「ゴミ戦争」を宣言。都内各地への処分場分散を提唱する。この演説原稿を書いたのが作家の童門冬二氏。当時は都の広報室長だった。

こうして都内各地に清掃工場を建設することが決まった。しかし杉並区では住民の反対で清掃工場の建設が進まない。これに江東区民が猛反発し、1972年(昭和47年)12月と1973年(昭和48年)5月、ついに実力行使に出る。杉並区の清掃車の前に区長や区議らが立ちはだかり、追い返したのだ。ゴミ問題は全国的な論争を巻き起こした。

両区はその後和解し、杉並区の清掃工場は1983年(昭和58年)に稼働した。ゴミ処理場の江東区への集中は緩和され、「ゴミ戦争」はひとまず終わった。

ゴミ処分場、江戸時代からあちこちに

東京湾でゴミが埋められたのは、夢の島だけではない。江戸時代から続く長い歴史があった。

「東京港史」によると、最初にゴミ処分場となったのは永代島。現在の富岡八幡宮のあたりだという。その後、越中島などの低湿地帯にも広がっていった。

大正時代には、現在の小石川や本郷、麻布、赤坂、神田、日本橋などにも処分場があったという。しかし都市部が過密化していく中で、次第に東京湾が埋め立ての中心地となっていく。

14号埋め立て地と呼ばれた夢の島が満杯になると、15号の一部が次の埋め立て地となった。当時は「新夢の島」と呼ばれていた。新夢の島は現在、東京ゲートブリッジのたもとにある若洲海浜公園となっている。

いま、ゴミの最終処分場となっているのは東京湾にぽっかり浮かぶ中央防波堤埋め立て地だ。江東区と大田区に橋とトンネルでつながっている。

この中央防波堤、実は正式な帰属が定まっていない。江東区と大田区がそれぞれ帰属権を主張しているのだ。江東区はこれまでゴミの受け入れに苦労してきた経緯を訴える。「江東区民の犠牲の上にできた埋め立て地は当然、江東区に帰属すべきだ」

一方、大田区は「この地でかつてのりの養殖をしてきた」と歴史的経緯を説明する。固定資産税は東京都の管轄のため、どちらの帰属になっても区の税収には影響しないが、土地の活用法への発言が強まる。解決の糸口はまだ見つかっていない。

晴海や豊洲にかつて貨物鉄道があった

ところで、ゴミ処分場ではないところを含め、埋め立て地の地名にはめでたい名前が多い。豊洲、晴海、辰巳、有明、東雲、そして夢の島……。

埋め立て第1号だった月島は「島を築く」という意味の築島が有力候補だったが、「島が月の形に見えることやイメージを考慮して月島になった」(中央区郷土天文館の増山一成さん)。「お台場」は幕末にペリーが来航した後、砲台が築かれたことに由来する。砲台のある台場に敬称を付けて「御台場」と呼んだ。

ちなみに晴海と豊洲を結ぶ橋の名前は春海橋。晴海ともどもイメージのよい名前ではあるが、なぜ「晴」から「春」に変えられたかはわからなかった。

この春海橋のすぐそばに、使われていない古びた橋が架かっている。よく見ると、線路が敷設してある。これは何なのか。

「昔、ここに貨物鉄道が通っていたんです。越中島から豊洲を経て晴海ふ頭まで走っていました」(増山さん)

貨物線は東京都が運営し、越中島駅で当時の国鉄の貨物線と接続していた。この晴海線は1989年(平成元年)に廃線となったが、橋はそのまま残された。


東京都庁は晴海になる予定だった?

前回(日本初の万博、大阪ではなく東京で開催予定だった)、前々回(1940年に幻の東京五輪 渋谷~成城の鉄道計画も)の東京ふしぎ探検隊で書いた1940年の東京五輪と万博計画もそうだが、東京湾の埋め立て地は東京市(現・東京都)にとって戦略的な場所だった。イベントの誘致や飛行場計画だけでなく、役所そのものも埋め立て地に移す計画だった。

1932年(昭和7年)、東京市は有楽町(現・東京国際フォーラム)にあった市庁舎を月島4号地(現・晴海)に移すと決めた。ちょうど現在、晴海トリトンスクエアがある辺りだ。住民の反対などから計画は頓挫したが、実現していたら、その後の東京都庁の新宿への移転はなかったかもしれない。

数々のイベントが企画された東京湾の埋め立て地。2020年の東京五輪では、夢の島や新夢の島(若洲)、そして中央防波堤がそれぞれ会場となる予定だ。空港予定地からゴミの島、そして五輪会場へ。埋め立て地の動向は、東京の今を映し出す。(河尻定)

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