西武鉄道は多摩川線延伸で対抗

文書には気になる記述があった。「申請中のものとして西武鉄道株式会社より武蔵境、東伏見間の地方鉄道敷設免許申請があるが競願関係とはならない」

なんと、西武鉄道も近くで鉄道敷設を計画していた――。いったいどんな計画なのか。公文書館でさらに調べていくと、今度は西武が提出した文書が見つかった。

西武が申請を出したのは1949年(昭和24年)10月のこと。京王が最初に免許申請してから1年とたっていない。

東京都府中市の是政駅から武蔵境駅(武蔵野市)まで走る西武多摩川線を、西武新宿線の東伏見駅(西東京市)まで延ばす、という計画だった。1950年10月には一部を修正し、西武新宿線側の接続駅を東伏見駅から武蔵関駅(練馬区)に変えている。

路線図をよく見てみると、西武多摩川線は他の鉄道と接続していない。もともとこの路線は西武鉄道が敷設したものではないからだ。

西武鉄道が提出した計画図。赤い線が延伸部分。終着駅が、当初提出した東伏見駅から武蔵関駅に変更となっている(公文書館所蔵)

建設したのは多摩鉄道。後に西武が吸収合併したことで、路線そのものを引き継いだ。孤立した路線が新宿線につながれば、そのメリットは大きい。

面白いことに、西武が出した申請書にも京王と同様の記述があった。

「申請中のものとして京王電鉄株式会社より、吉祥寺、東久留米間の地方鉄道敷設免許申請があるが、敷設申請ルートが異なるので競願関係にはならない」

ここまで同じだと逆に意識しているのでは、と思ってしまう。実際、京王の社史には井の頭線の延伸計画について、「競願の形となり」と書いてある。競願となり、運輸審議会からも結論が出ないまま、実現せずに終わったと振り返っている。両社とも、分かってはいたのだろう。

井の頭線は小田急の一部だった

ちなみに井の頭線も、もとは京王が敷設した鉄道ではない。東京山手急行電鉄という会社が手掛けた。東京山手急行はその後帝都電鉄と名前を変え、小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)と合併した。井の頭線は当時、小田急帝都線と呼ばれていたという。東京山手急行も小田急の創始者、利光鶴松氏が代表であり、実質的には小田急系の路線といえる。

その証拠に、京王線と井の頭線は線路の幅が違う。京王線は幅1372ミリだが、井の頭線は1067ミリで、小田急と同じ。京王線と井の頭線は明大前駅で接続してはいるが、乗り入れることはできないのだ。

ところで井の頭線を手掛けた東京山手急行電鉄は当初、「第2山手線」という壮大な計画をぶち上げていた。品川区の大井町から江東区の洲崎(現在の東陽町)まで、山手線の外側を走る路線だ。資金難から頓挫したが、そのエネルギーは井の頭線や小田急線へと引き継がれていく。

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