東京の渋谷と吉祥寺(武蔵野市)を結ぶ京王井の頭線。首都圏屈指の人気住宅地を抱える路線はかつて、北への延伸を計画していた。ほぼ同時期、西武鉄道も多摩川線の延伸を構想。両社の案は激しくぶつかった。1950年代、武蔵野市に誕生した野球場を軸に展開した攻防の顛末(てんまつ)を追う。
吉祥寺から北上、西武池袋線に接続
井の頭線とJR中央本線が乗り入れる吉祥寺駅は、現在工事の真っ最中だ。京王側では駅ビルが建て替えられ、2014年春には地上10階、地下2階の京王吉祥寺駅ビルが完成する見込み。JRとの間の自由通路も、今より広く直線的にする計画が進んでいる。
井の頭線の終着駅として栄えている吉祥寺駅だが、実は途中駅になる可能性があった。京王電鉄の社史、「京王帝都電鉄30年史」によると、吉祥寺駅からさらに北に延ばす計画があったという。どんなプランだったのか。事実関係を確かめるため、国立公文書館で資料をあさってみた。
まず見つかったのは、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が1948年(昭和23年)12月、運輸省(当時)に提出した文書だ。「久我山 田無間鉄道延長線敷設について」とある。久我山といえば、杉並区にある井の頭線の駅名。吉祥寺からは渋谷方面に3駅目にあたる。
文書を詳しく読んでみた。どうやら、井の頭線を途中で分岐させる構想らしい。分岐点となるのが久我山駅で、そこから国鉄(当時)中央線三鷹駅に向けて線路を延ばし、さらに北上して西武村山線(現・西武新宿線)の田無駅(東京都西東京市)に接続するというプランのようだ。
さらに調べていくと、翌1949年12月に京王は違う申請を出していた。「計画を変更する」とある。久我山から分岐するのではなく、井の頭線を吉祥寺からそのまま延ばす、という。吉祥寺駅から田無駅へ向かい、さらには西武池袋線の東久留米駅(東京都東久留米市)まで延ばすプランに変わっていた。これが、井の頭線の延伸計画だ。
なぜ変更したのか。文書にはこうある。「久我山、吉祥寺間が死滅する」。確かに、渋谷方面から乗車して中央線に乗り換える場合、わざわざ久我山で降りる必要はない。このままでは利用者が大きく減ると予想したのだろう。