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悲しい記憶を乗り越え 夕張再生の芽生え 夕張市長 鈴木直道(6)

2014/3/18

 夕張市が財政破綻した原因は一つではありません。ただ、最も大きな原因は国のエネルギー政策の転換です。「石炭から石油へ」と転換した結果、北海道最大の生産量を誇った炭都夕張から炭鉱の火が消えました。石炭産業の代わりとして、「炭鉱から観光へ」を合言葉に観光振興などに多額の財政支出を行ったことも一因です。この2つの負の遺産は今もなお夕張を苦しめているものの、一方で転換期を迎えて新しいエネルギーになろうとしています。今回は、再生に向かう夕張の新しい取り組みを紹介したいと思います。

鈴木直道(すずき・なおみち) 1981年埼玉県生まれ。1999年東京都入庁。2004年、都庁に勤めながら4年で法政大学法学部法律学科を卒業。2008年夕張市へ派遣。2010年11月、夕張市市長選の出馬を決意し東京都庁を退職。2011年4月、夕張市長に就任(写真 編集委員 嵐田啓明)

■ガス=危険なもの

 夕張の歴史は、石炭の発見から始まりました。明治時代に夕張川上流で地質調査が行われた結果、石炭層があることがわかったのです。その後石炭の大露頭(鉱脈)が発見され、炭鉱ができ、働く人が集まり、商店街ができ……と、夕張は大きな発展を始めます。当時、傾斜生産方式により基幹産業である石炭産業には、国策として資材や資金が重点投入され増産されました。なかでも夕張は良質な原料炭が採れ、「黒ダイヤ」とも呼ばれていました。最盛期だった1960年代には17の炭鉱があり、従業員だけで約1万6千人が働いていました。当時の人に話を聞くと、まちのすべては炭鉱を中心に動いていたそうです。

 もっとも炭鉱で働くということは、ガス突出・爆発やそれに伴う坑内火災などいつ起きるとも分からない事故におびえながら働く、死と隣り合わせの危険な仕事でした。私は職業柄かつての炭鉱マンから話を聞く機会も多いのですが、仕事に向かうときは二度と会えないかもしれないと水杯(みずさかずき)を交わして向かっていたと聞きました。なかでも81年に起きた北炭夕張新炭鉱ガス突出事故は、最終的に93人が亡くなる大惨事となりました。燃え続ける炭鉱を守るため、まだ坑内で家族が生きているかもしれないという状況のなか、炭鉱会社が残された家族を説得し、同意書を取り付け、坑内に川の水をサイレンとともに注水したのです。

 まさに命がけで守ってきた炭鉱ですが、事故の前から炭鉱には陰りが見えていました。62年の「原油の輸入自由化」をきっかけとして国はエネルギー政策を「石炭から石油へ」と転換します。石油がエネルギーの中心にかわるとともに、石炭はより安価な海外炭へと切り替わり、国内炭の需要は減り炭鉱は閉山に追い込まれていきました。炭鉱を守るために川の水を注入した夕張新炭鉱も、事故の翌年に閉山しています。ガスは、今でも夕張の人たちにとって、生々しい記憶の残る怖いものです。良質な石炭がとれる場所とガスは切っても切り離せない関係なのです。

■命奪った原因を生きる糧に変えて

 「悲しい記憶」の残る「ガス」こそ、夕張の新しいエネルギー源になる可能性を秘めた「炭層メタンガス(CBM=コールベッドメタン)」なのです。昨年から、札幌のNPO法人「地下資源イノベーションネットワーク(URIネット)」が、「悲しい記憶」を伴うガスを「新エネルギー」として活用しよう、と動き始めました。

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