働き方・学び方

定年世代 奮闘記

雪上車「かもしか号」で冬山の案内人に 雪原遊覧ガイドの野沢日記

2012/8/4

4メートルを超える積雪、気温は氷点下7~8度。雪上車「かもしか号」にお客さんを乗せ雪原を走る。長野県北部にある野沢温泉スキー場。標高約1300メートルの上ノ平高原が、私の冬の仕事場である。夏は自宅のある東京に帰る。季節はずれながら、節電の夏に野沢のクールな話をお届けしよう。

雪上車の乗客に巣鷹湖とブナの森を案内(左から3人目が筆者)=2011年1月、久保田写真館提供

■地縁で「押しかけボランティア」

2010年冬、日本経済新聞の夕刊に「野沢温泉村に住んでみる」を連載し、3カ月間この村に滞在した。温泉街のなかでアパートを借りて自炊生活、毎週、ここから東京に原稿を送った。村の人との距離がぐんと縮まり、すっかり馴染んだ3月末に連載を終了。同時に63歳の定年を迎えた。

いったん東京に帰り、退職の手続きをした後、再び野沢に舞い戻った。「ひと冬過ごして、春を見ないで帰るのは野沢に対して失礼ですよ」。何人かの村人にそういわれていた。雪解けのゲレンデで採ったフキノトウの天ぷらは格別で、ビールによく合った。結局、5月末まで滞在した。

私が野沢で最初の「雪原遊覧ガイド」になったのは11年の冬から。特別な資格があるわけでもなく、いわば押しかけボランティアだ。雪上車の運転は無理でも、隣の助手席で案内人ならできる。退職した年の秋、スキー場社長の河野博明さんが上京した折、神田の赤ちょうちんで懇願した。

一方、「退職後は1年のうち半年は旅にでる」という“暗黙の了解”を妻から得ている。記者時代の晩年、5カ月かけて奥の細道を歩いたし、スペイン巡礼では2カ月間留守にした。大阪と仙台で、合わせて6年間の単身赴任の経験もある。昨年秋からは四国遍路の“区切り打ち”に出かけている。野沢はその延長線上にある。

団塊世代の私が野沢にひきつけられた理由は3つある。1つはスキー場と温泉の絶妙な組み合わせだ。夕方、山から下りて熱い外湯(共同浴場)につかると、「極楽、極楽……」が自然に口をついて出る。蔵王や志賀高原も似ているが、野沢ではどちらが欠けても成り立たない。

2つ目は北信濃の素晴らしい景色だ。飯山盆地を貫流する千曲川とその北側に信越国境の山並みが広がる。その稜線の向こうに日本海が見える。西には妙高、黒姫などの北信五岳、さらに白馬、五竜、槍、穂高の北アルプスの峰々も望める。春は菜の花で染まる唱歌「朧月夜」の里でもある。

3つ目は人情の機微だろうか。野沢は人口4000人弱の小さな温泉まちながら、江戸時代から湯治場として栄えてきた歴史をもっている。300軒近い旅館や民宿がひさしを接し、顔と顔で話が通じる地縁社会だ。暮らしに根ざした人の温もりに、“無縁社会”にはない心地よさがある。

働き方・学び方 新着記事

ALL CHANNEL