2013/6/17

やることすべてがうまくいかず、自暴自棄になった栄が取った行動は、指導から逃げるための現役復帰。コーチでありながら自分の練習に時間を費やす栄に、選手が怒りだすのは時間の問題だった。「もうぐちゃぐちゃですよ。そんな時、日本協会専務理事の高田裕司さんに『二足のわらじを履きながらいい指導はできない。選手を辞めて命をかけて指導しろ』と言われた」。

尊敬する高田の言葉で栄は目が覚めた。

栄の「必ず勝たせる」という執念が、吉田が世界で連覇し続けるための心の支えになっている。練習に対する指導は厳しいが、選手をよく観察して声をかけている

「人生をかけて命がけでレスリングと向き合っていた現役時代を思い出しました。ロサンゼルス五輪の選考会で負け、失意の末、命を絶ちたいとさえ思ったことを。そこまで追い詰めるほどの執念が自分を支えていたんです。翻って、コーチとしての自分にその執念はない…。コーチに『選手を五輪で勝たせたい』という執念がなければ、熱意が選手に伝わるはずがない。強い選手を育てるために信頼関係が大事と言いますが、それ以前の問題だったんです。そう考えてから、選手からの信頼を得たい、好かれたいなどという思いはなくなりました。私はただ選手を強くするのみ。そう割り切ることにしたのです」

しばらく選手との関係はギクシャクしていたが、練習したいという選手がいれば自分の休日を返上して指導した。技術を教えるだけでなく私生活まで選手と向き合い、熱意を行動で示した。次第に1人の選手の指導に集中しても、ほかの選手が妬むことはなくなっていった。そして、コーチとしての結果を出した。3人の世界チャンピオンを生み出したのだ。

京樽を退社後、中京女子大学附属高校の教諭に赴任し、女子チームのコーチになった栄は、吉田沙保里や伊調馨などを自分が購入したマンションに住まわせ、私生活も徹底的に管理した。彼女たちを車に乗せて高校まで1時間かけて送り、朝練習を行った。授業が終われば夜遅くまで練習して車に乗せて帰った。

吉田は当時のことをこう振り返る。「練習量は多くて辛いし、最初はやめたくて仕方なかった。何時間かかろうが出来るまでやらせるしつこさに、正直うるさいなと思ったり…(笑)。でも、結果が伴い始めて先生の熱意のこもった指導の意味が分かってきました」。

2007年に中京女子大学のコーチに就任すると、さらに栄の情熱は行動をエスカレートさせる。4000万円のローンを組み、一戸建てを購入。寮として選手に住まわせて365日24時間、選手たちと徹底的に向き合った。

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競争し合う組織づくり