「最初は女子選手の指導なんて嫌だったんです。なかなかうまくいかず、自分の指導スタイルに随分迷いました」

そう話すのは、女子レスリングで10人もの世界女王を育ててきた名将、栄和人日本レスリング協会女子監督。吉田沙保里、伊調馨をアテネ・北京・ロンドン五輪で3連覇させ、多くのメダリストを輩出。女子レスリングを日本が誇れる競技に押し上げた立役者だ。現在も愛知・大府市の至学館大の女子レスリング部監督として、ロンドン五輪で3連覇した吉田をはじめとした30人の女子選手を指導する。だが、最初から女子選手を思うように育ててきたわけではない。むしろ挫折の連続だった。
自身もレスリングの選手として活躍し、1987年の世界選手権で銅メダルを獲得。88年のソウル五輪に出場するも4回戦で敗退。その後、世界で戦う選手の育成を目指すが、男子コーチの椅子はメダリストたちによってすべて埋まっていた。「日本レスリング協会の福田富昭会長に相談をしたら、『将来、きっと五輪種目になるから、女子レスリングのコーチになって選手を今から育てろ』と言われた。女子か…と戸惑ったが五輪種目になるならと」。
90年に寿司のテイクアウト専門店「京樽」の実業団女子チームのコーチに就任。だが、熱心に指導すればするほど栄は絶望していく。挙句の果てに「私にはもう無理だ」と白旗を上げてしまった。
「指導をすると夢中になるタイプで、1人の選手を相手に何時間も技の研究をしてしまうことがあった。すると、ほかの選手は何をやっていいのか分からなくなる。男子なら1を言えば10を理解してくれるが、女子は1から10まで言わないと動かないし、不安になる。指導が1人の選手に偏るとほかの選手の妬みや不満が募る。強くしたい一心で、叱る言葉が乱暴になれば『あなたにはついていけない』という冷ややかなムードになる」