とんかつにキャベツ コック出兵で変わった食卓

2013/4/12

本日入荷 おいしい話

東京・銀座の洋食店「煉瓦亭」のポークカツレツ。たっぷりのキャベツがうれしい。レシピは明治からほとんど変わっていないが、キャベツは昔より細かく刻んでいるという

時々、無性にキャベツの千切りが食べたくなる。そんなときはとんかつ店へ行く。とんかつにはキャベツと相場が決まっている。抜群の相性を誇るとんかつとキャベツ。その出合いは、日本人の野菜の食べ方を変えた歴史的な転換点でもあった。

とんかつの付け合わせ、当初は温野菜だった

日本で最初に「とんかつ」を出した店が、銀座にある。老舗洋食店、「煉瓦(れんが)亭」だ。とんかつとキャベツの組み合わせは、この店で生まれた。

創業、1895年(明治28年)。フランス料理店としてスタートした店は、油やバターをふんだんに使う料理が日本人の味覚に合わず、苦戦していた。

横浜のレストランで仏料理を学んだ2代目店主の木田元次郎は考えた。天ぷらのように揚げた方がからっとして日本人に合うのではないか。牛肉より豚肉の方があっさりするのではないか――。

こうして生まれたのが「ポークカツレツ」。仏料理の「子牛のコートレット」をアレンジしたものだった。元次郎の孫である木田明利社長によると、1899年(明治32年)ごろのことだという。

このころはまだ付け合わせはキャベツの千切りではなかった。ベークドポテトやフライドポテト、煮込んだニンジン、ゆでキャベツなど温野菜を添えていた。「しかもバターでソテーするなど濃いめの味付けでした」と木田社長。

東京・銀座の煉瓦亭は、1895年の創業。オムライスやエビフライなどを最初に考案したとの説もある

実は当時の日本には、野菜を生で食べる習慣がなかったのだ。ネギを薬味で使ったり、ウリやスイカを果物として食べたりしたものの、野菜といえば煮物や汁物、漬物が一般的だった。

キャベツが日本にやってきたのは江戸時代。レタスは奈良時代に入っていたものの、加熱したりなますにしたりして食べていた。明治になって欧米から入ってきた「サラダ」も、ゆで野菜が中心だったという。

そんな状況を一変させたのが、日露戦争(1904~05年)だった。木田社長は祖父から聞いた話として振り返る。

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日露戦争時の人手不足で生まれたキャベツの千切り