西武鉄道の奥多摩レジャーランド構想
東京周辺にはかつて、数多くの「実現しなかった鉄道計画」があった。幻の計画に思いをはせ、もし実現していたらどうなっていたか、想像してみるのは楽しい。
東京都民の水がめ、奥多摩湖。ダム建設に伴い生まれた人造湖の周りには、鉄道の廃線跡があちこちに残っている。かつてここにはダム建設に必要な物資を運ぶための専用鉄道があった。
ダム完成後、使われなくなった線路を活用して、奥多摩湖周辺を一大観光地にしようという壮大な計画があった。立案したのは西武鉄道。東京都小平市の小平駅から東京都昭島市の拝島駅まで走る西武拝島線を国鉄青梅線に乗り入れさせ、さらにはダム建設路線とつなぐ。西武新宿駅から奥多摩湖畔までを一気につなぐ大路線構想だった。
湖畔にはホテルや遊園地を造り、ロープウエーやケーブルカーで周囲の山にもアクセスする。秩父への登山ルート整備も考えていたようだ。
国に提出した資料に「豊島園、西武園にささげた情熱に倍する努力と資金を傾注」とまで訴えた計画はしかし、あっさりと撤回された。理由はダムの渇水。行楽地としては力不足、と疑問の声が西武社内で優勢となったという。実現していたらどうなっていたのだろうか……。
実現なるか 富士登山鉄道
行楽地への鉄道計画といえば、富士山は外せない。かつて数多くの資産家たちが山頂までのケーブルカー構想を打ち出していた。
中でも規模が大きかったのが、1963年(昭和38年)に富士急行が申請した計画だ。それは地下にトンネルを掘って頂上まで走る構想だった。
構想は「ハイヒールで日帰り登山」などと称され、大きな反響を呼んだ。しかし計画申請から11年後の1974年、同社は申請を取り下げる。環境面には配慮していたものの、富士山にトンネルを掘ることへの世論の反発の声が根強かったようだ。
この計画以降、頂上に向かう構想は出ていない。しかしここにきて5合目までの登山鉄道構想が急浮上してきた。
計画を打ち出したのは山梨県の観光業者などで構成する富士五湖観光連盟。河口湖から5合目まで延びている富士スバルラインをまるごと登山鉄道に衣替えする、という構想だ。一般車両は通れなくなることで、環境への負荷はむしろ軽くなると訴えている。
スイスなどで登山鉄道を導入した事例があり、実現は不可能ではない。今後の展開が注目される。