2014/3/29

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なぜ「トロサバ一本」に絞ったのか

「周囲から反対されたが、ブランド化するにはトロサバ一本に絞り込む必要があった」(右田社長)

鯖やの事業を語るうえで外せないのが、右田社長の波瀾万丈(はらんばんじょう)の人生だ。高校卒業後、スーパーマーケットの鮮魚売り場に就職。マグロを解体できるまで腕を磨いた。23歳のときに商社マンに憧れ、単身オーストラリアに。シドニーの回転寿司店で働き、飲食店経営のノウハウを学んだ。

鯖やの右田高有佑社長。オーストラリアの大手回転寿司チェーンで経営のノウハウを学んだ

その店は当時こそまだ小さな寿司店だったが、2000年のシドニーオリンピック景気に乗り、2年間で17店舗に急拡大。後に全豪で最大手の寿司チェーンへと成長する。右田氏自身も24歳の若さで工場長、スーパーバイザーを経験し、社長の右腕になるまで成長。「多忙だったが、充実したあの2年間が今の自分のベース」と振り返る。

同店は日本スタイルの回転寿司だったが、本格的な寿司店をめざして開発したネタがシメサバだった。シメサバは生のサバを酢でシメる日本特有の食文化。ところが、ほとんどの外国人は酸っぱい生魚を食べられない。しかも、右田氏自身もサバが苦手だった。

そこで、「自分や外国人でも食べられるシメサバ」の開発に着手する。塩の種類や酢につける時間を変えたり、冷蔵庫の脱臭器で臭いを分解したりと試行錯誤した末、ジューシーで臭くなく、酸っぱくもないシメサバの商品化に成功した。店舗で握りにして提供したところ、予想以上に好評だったという。特に生魚を食べる習慣のない中国人客に人気だった。

しかし、順風な日々は長くは続かない。オーストラリアから帰国後は一転、どん底の人生に。転職をくり返すも失敗続きで貯金も底をついた。そして30歳のとき転機が訪れる。たまたま見つけた店舗物件で魚料理メインの居酒屋を開業。オーストラリアで開発した独自製法のサバ寿司が評判を呼んだ。そのころ、買い付けで訪れた八戸の漁港でトロサバに出合ったことが、トロサバ一本で起業するきっかけとなった。

2007年に鯖やを創業した当初は営業先で門前払いされることもあったが、地道なPR活動で百貨店のバイヤーにも認知されるように。今では「トロサバといえば鯖や」といわれるまでになった。

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