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東京ふしぎ探検隊

2012/6/8

東京ふしぎ探検隊

玉川線から新玉川線、田園都市線へ

二子玉川園跡地にできた商業施設「二子玉川ライズ」。かつての面影はかけらもない

二子玉川園の跡地はいま、どうなっているのか。現地を訪れてみると、すっかり変わっていた。

二子玉川園閉園後は「ナムコ・ワンダーエッグ」「いぬたま・ねこたま」などのテーマパークが一時営業していたが、再開発に次ぐ再開発でまったく面影はなかった。二子玉川園跡地は現在、「二子玉川ライズ」という商業施設になっている。

ちなみに、玉川電気鉄道は1938年(昭和13年)に東京横浜電鉄(現・東急)に合併され、玉川線は「東急玉川線」となる。しかしモータリゼーションに伴い道路上では渋滞が慢性化。砂利を運ぶ路面電車の「ジャリ電」は次第に「ジャマ電」などと邪魔者扱いされ、1969年(昭和44年)に廃止された。

そして1977年(昭和52年)にほぼ同じ区間を地下化して走る路線が誕生。これが東急新玉川線となる。

「玉電(たまでん)」の愛称で親しまれた旧玉川線(昭和23年頃撮影)

ただ、玉川線を継承したこの名前が今度は「わかりにくい」と批判を浴びる。当初は二子玉川園で乗り換えていた新玉川線と田園都市線が直通運転することになり、同じ会社が運営する同じ電車に乗っているのに渋谷から二子玉川園までが新玉川線、二子玉川園から中央林間までは田園都市線と途中で名前が変わってしまうからだ。

そこで東急は2000年に新玉川線を田園都市線に統一。こうして伝統の名前は姿を消した。

学芸大学と都立大学、大学移転後も駅名が変わらない理由

綱島温泉や二子玉川園などのレジャー施設と並び、東急沿線に乗客を呼び込むエンジンとなったのが学校だ。大岡山駅の東京工業大学、日吉駅の慶応義塾大学はその典型。かつては池上線に「慶大グラウンド前」という駅があった。現在の千鳥町駅だ。

大学が移転したのに駅名だけ残っているのが学芸大学と都立大学。後者に至っては首都大学東京に統合されて消滅したにもかかわらず、どこにもない大学名を掲げている。

古い路線図を調べてみると、この2つの駅は何度も駅名変更をしている。まずは学芸大学駅。宮田道一著「東急の駅 今昔・昭和の面影」によると、1927年(昭和2年)の開業当時は「碑文谷」だった。その後「青山師範」「第一師範」と変遷した後、1952年(昭和27年)に学芸大学に落ち着いた。

都立大学はどうか。開業時は「柿ノ木坂」。その後「府立高等前」「府立高等」「都立高等」を経て1952年に都立大学となった。

それにしても学芸大は1964年(昭和39年)、都立大は1991年(平成3年)に移転したにもかかわらず、どうして駅名が変わらなかったのか。

東急によると、1999年(平成11年)に住民アンケートを実施したという。学芸大の駅名変更に賛成したのが37%、反対が63%。都立大は賛成59%、反対41%だった。あらかじめ設けた「3分の2以上の賛成」というハードルを越えられなかったことから、駅名が存続したらしい。

受験生が間違えるなどの指摘があったが、地元からは「商店街の名前などになっており、変更すれば影響が大きい」など否定的な意見が多かったようだ。駅名変更が頻繁だった時代に比べ、それだけ街の規模が大きくなったということかもしれない。

ちなみに日吉にはかつて「東急電鉄発祥の地」という記念碑があった。東急に聞いたところ、「東横線の着工時に、土取場として最初に買収した場所」だという。記念碑があった公園は既に宅地となり、記念碑は現在、元住吉の同社施設内に移設してある。残念ながら、関係者以外は見ることができない。

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