2014/3/13

架空の怪獣ストーリーを支えるのが、当時の世相を細部まで伝えるリアリティーさ。キングギドラが見た日本は、そのまま64年当時の姿だ。

円盤研究、首都高速、テレビ…64年の世相

この映画では冒頭に「宇宙円盤クラブ」という会が宇宙との交信を試みようとする。実際、50年代後半からは「日本空飛ぶ円盤研究会」が活動していた。三島由紀夫らが会員で、三島は62年にSF小説的な「美しい星」を発表。64年1月には読売新聞に「『空飛ぶ円盤』の観測に失敗して…」と自作を紹介するエッセーを書いている。

大阪芸術大の客員教授でもある川北監督は怪獣らとともに映画人の人生を歩んできた

星由里子演じる主人公の家の茶の間にはカラーテレビが置いてある。白黒テレビの普及は急速に進んだものの、カラーはまだ少なかった。上野の西郷隆盛像の前は東京在住のほか、地方から上京してきたとおぼしき群衆が集まっており、ネクタイの幅は現在よりもさらに狭いタイプが流行していたようだ。ラドンが登場する阿蘇山は観光名所になっており、キングギドラが隕石(いんせき)から誕生する黒部渓谷には、63年に黒部ダムが完成していた。

キングギドラは国宝・松本城の天守閣の瓦を吹き飛ばしながら首都圏へ飛んでいき「協和銀行」の看板があるビルなどを破壊する。日本航空の旅客機には「FUJI」のロゴマークが機体に描かれ、自動車は首都高速を疾走する。市中の公衆電話は電話ボックスではなく、何台も並列に置かれていた――。

21世紀の今日では怪獣モノはB級映画、せいぜい若手俳優の登竜門ぐらいに軽視されがちだが、キングギドラの映画には昭和を代表する名優の一人である志村喬のほか、夏木陽介、伊藤エミ・伊藤ユミのザ・ピーナッツといったスターらが登場する。川北監督は「東宝には海外版指定のAランクから国内版専用のCランクまであり怪獣映画はAランク指定だった」という。「撮影所では黒沢明監督の映画よりも優先的に撮影の電気を供給してもらったこともあった」(川北監督)。

家庭にはテレビも普及していた(「三大怪獣 地球最大の決戦」(C)東宝)

「三大怪獣 地球最大の決戦」はもともと黒沢監督の「赤ひげ」が遅れていたために代わりに作られたという事情があった。それにもかかわらず東宝映画の平均制作費が約7000万円だった時代には約1億3000万円かけて作られた。配給収入も東宝の人気シリーズの「喜劇・駅前怪談」の約2億500万円を抜く約2億1000万円を記録した。もっとも洋画では「マイ・フェア・レディ」が約4億7600万円を稼いでいた。

当時日本の工業製品は輸出を拡大していたが、ソフト面ではハリウッド映画などが人気で輸入超過だ。その中で怪獣映画は数少ない輸出商品で、いわば「クールジャパン」の先駆けだったようだ。日本映画は64年に輸出金額を403万ドルと初めて400万ドル台に乗せた。輸出先は米国が約51%と5割を超え、返還前の沖縄約10%、西独約5%、英国約4%と続く。東宝はロサンゼルス、ホノルル、サンフランシスコ、ニューヨークに拠点を構え、怪獣映画は貴重な外貨を稼ぐことの出来るコンテンツだった。