なぜ立っていられる? ヒミツは体の中の精密装置
働きもののカラダの仕組み 北村昌陽
体のしくみの大半は、私たちの意識が及ばないところで働いている。"自動的"といってもいいだろう。いちいち意識しなくても、胃は食べ物を消化し、膵臓はインスリンを分泌し、腎臓はおしっこを、腸はうんちを作る。実に良くできたものだ。
そんな中でも、今回紹介する「平衡感覚器」は、極めつけの"自動装置"といえるかもしれない。自動化ぶりがあまりにお見事なので、普段、その働きを実感する機会はめったにない。「でも、ひとたびこの装置が不調に陥ると、めまいが起き、立っていることも難しくなります」
聖マリアンナ医科大学耳鼻咽喉科教授の肥塚泉さんはこう話す。なるほど、普段はほとんど目立たないけれど、実はとても大事なことをしているわけだ。
頭を動かしても目の向きはいつも一定
平衡感覚器の本体は、耳の奥にある「内耳(ないじ)」。カタツムリによく似た姿のこの装置は、「半規官(はんきかん)」「耳石器(じせきき)」「蝸牛(かぎゅう)」という三つの部位の集合体だ。このうち蝸牛は音を聞く(聴覚)装置なので、平衡感覚とは直接関係ない。「半規官」「耳石器」が、今回の主役だ。
内耳の内部は空洞で、内リンパ液という非常に粘性の高い液体で満たされている。その中にあるのが、「クプラ」「耳石」という2種類の小さなパーツ。これが、体の動きや重力の方向を感じ取るセンサー部だ。
「頭を左右に振ってみましょう」と肥塚さん。「半規官は3本のアーチを描いた管で、それぞれ前、後斜め、水平の面を向いています」。頭を水平に振ると、主に水平のアーチの中に内リンパ液の流れが生じ、あおられたクプラが微妙にたわむ。そのたわみを感知して、クプラからシグナルが発信される。
このシグナルは、眼球を動かす筋肉へ伝わる。頭の動きを打ち消す方向へ、眼球を自動的に回転させるのだ。これによって、頭がどちらに動いても眼球の向きが一定に保たれる。「目の前に指を立てて、首を左右に素早く振っても、見えている指はブレないでしょう?」
おおっ、本当だ。かなり早く振っても、指は1本にしか見えない。当たり前だと思うかもしれないが、「頭を動かしても目の向きは一定」って、考えてみればものすごい精密な制御だ。
今度は指の方を振ってみよう。これだと目の動きがついていけず、指がブレて見える。頑張って目で追いかけても、半規官の"自動操縦"にはかなわないのだ。やるなあ半規官。
さて、もう一つの装置=耳石器は、主に体の傾きを感知する。頭部が傾くと、表面にくっついた細かい石(耳石)の重みで耳石器の上部がズリッとずれる。「ずれを感知した耳石器は、脚の筋肉にシグナルを出します。傾いた体を立て直す方向へ微妙に調節することで、人間は立っていられるのです」
耳石の破片が流出すると激しいめまいが起きる
どちらも見事なオートメーションだ。では、このシステムに起きる不調についても聞いてみよう。「代表的なのは『良性発作性頭位めまい症』ですね」と肥塚さん。「耳石器からはがれた耳石のかけらが、半規官の方に入ってしまうことがあるのです」。頭を動かすと、このかけらがクプラを刺激し、目がぴくぴく揺れて頭が回るようなめまいと吐き気が起きる。女子サッカー日本代表の澤穂希選手が発症したことで、覚えた人もいるだろう。
「突然のことでびっくりしますが、激しい症状は数日~2週間程度で落ち着きます。そうなったら、なるべく体を動かす方がいい。そのうち、かけらが自然に耳石器へ戻って、治ります」
もっとも、めまいを起こす病気にはほかにもある。なかなか改善しない場合や、ほかの症状(耳鳴り、ろれつが回らない、手足が動きにくいなど)がある場合は、病院へ行きましょう。
生命科学ジャーナリスト。医療専門誌や健康情報誌の編集部に計17年在籍したのち独立。主に生命科学と医療・健康に関わる分野で取材・執筆活動を続けている。著書『カラダの声をきく健康学』(岩波書店)。
[日経ヘルス2013年1月号の記事を基に再構成]
健康や暮らしに役立つノウハウなどをまとめています。
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