俳優休業、34歳の今
2007年、僕は28歳のときに8歳から20年続けた俳優を休業することに決めました。休業を決めて渡米し、帰国してからは映像制作やファッションショー、企業のプロモーションイベントを請け負う株式会社BIGBOYSの経営者として生きています。これまで、東京ガールズコレクションのオフィシャルパーティーの演出、レッドブル、キヤノンをはじめ企業のプロモーションイベントなども担当しました。
ほかの顔ではマイアミで毎年行われ、マドンナやパリス・ヒルトンが自らチケットを購入して訪れているミュージックフェス「ULTRA MUSIC FESTIVAL」の、日本版『ULTRA JAPAN』のクリエイティブディレクターを務めていたり、自らカメラを回し映像編集もしたりする映画監督の顔もあります。
俳優を休業して、米国で10ヶ月を過ごしました。その間にもメキシコやコロンビアなどを旅して過ごしていました。帰国した08年、僕はすぐ俳優に戻るつもりはありませんでした。数年がたった今、俳優として映画に出演することもありますが、本当の意味で「社会」に出て、プロフェッショナルとして仕事の向き合い方は以前と明らかに変わったと思っています。
勘違いから芸能界へ
僕が子役として働き始めたのは8歳のときです。きっかけはバラエティー番組のオーディションに観覧募集と勘違いして応募したことでした。たまたま両親がその日家にいなくて、夕方学校から帰ったら好きなテレビ番組が「レギュラー募集中」というお知らせを出していました。当時テレビ朝日で夕方の6時から放送されていた「パオパオチャンネル」。子どもだったから「レギュラー募集中」という横文字の意味がわからなかったんです。
届いた応募はがきを見た親から「いつの間に出したの」と尋ねられて「この番組好きで見たいから」と答えたら「あんたこれオーディションのはがきだよ」と説明されたんです。それを聞いて好きな番組を見られるならいいけど、出られるのなら「ラッキー」だと思ったんです。