地下の謎を様々な視点から解き明かしてきた「東京ふしぎ探検隊」。今回は古い地下街に焦点を当てる。調査の結果、日本で最初の地下街は東京・神田にできたことがわかったが、その場所に行ってみるとなくなっていた。現存する中で最も古いのは東銀座にあり、その歴史は日本の戦後復興と重なり合う。古い地下街を巡る物語を追った。
国内初の地下街は神田、10銭ショップもあった
日本初の地下街誕生の裏には、1人の男の存在があった。早川徳次(のりつぐ)。「地下鉄の父」とも呼ばれた人物だ。シャープの創業者、早川徳次(とくじ)とは字は同じだが別人だ。
早稲田大学を卒業後、南満州鉄道(満鉄)に入社した早川は、当時の総裁、後藤新平に師事する。後藤が総裁辞任後は鉄道院や民間の鉄道会社を転々とし、ロンドンの地下鉄を視察したのを機に地下鉄建設にのめり込む。大隈重信、渋沢栄一らの支援も得て1927(昭和2)年、上野―浅草間で日本初の地下鉄を開通させ、1931年には神田、1934年には新橋まで延伸した。
名称 | 所在地 | 開業年月 | |
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1 | 三原橋地下街 | 東京・東銀座 | 1952年12月 |
2 | 浅草地下街 | 東京・浅草 | 1955年1月 |
3 | サンロード | 名古屋 | 1957年3月 |
4 | 新名フード | 名古屋 | 1957年7月 |
5 | 栄地下街 | 名古屋・栄 | 1957年11月 |
5 | メイチカ | 名古屋 | 1957年11月 |
5 | 伏見地下街 | 名古屋 | 1957年11月 |
8 | 渋谷地下街 | 東京・渋谷 | 1957年12月 |
9 | NAMBAなんなん | 大阪・難波 | 1957年12月 |
10 | アピア | 札幌 | 1958年7月 |
11 | フェスタ地下名店街 | 兵庫・姫路 | 1959年11月 |
12 | ペスカ岡山 | 岡山 | 1959年12月 |
13 | 千種地下街 | 名古屋 | 1960年6月 |
13 | 今池地下街 | 名古屋 | 1960年6月 |
15 | ダイナード | 名古屋 | 1963年3月 |
16 | ミヤコ地下街 | 名古屋 | 1963年9月 |
17 | ホワイティうめだ | 大阪・梅田 | 1963年11月 |
18 | ルミネエスト | 東京・新宿 | 1964年5月 |
19 | 池袋ショッピングパーク | 東京・池袋 | 1964年9月 |
20 | 博多駅地下街 | 博多 | 1964年11月 |
都市地下空間活用研究会の粕谷太郎・主任研究員が作成
300平方メートル以上の地下街を対象とした
早川は沿線に劇場や百貨店などを配置した阪急の小林一三にならい、地下鉄の駅に食堂や店舗を設けた。なかでも地下街の原型といえるのが、1931(昭和6)年に開店した上野駅の「地下鉄ストアー」。食料品や菓子、雑貨、おもちゃなどを手掛け、店内には「他の店に比べて、もし高い品がありましたら、我々のモットーに反しますので、その場で1割増しにて買い取ります」とのポスターがあったという(中村建治「メトロ誕生」交通新聞社)。
上野の成功に自信を深めたのか、早川は神田駅にも「神田須田町地下鉄ストアー」(須田町ストア)を出店する。1932(昭和7)年のことだ。これが日本初の地下街といわれている。上野の「地下鉄ストアー」は駅ビルの地下にあり「デパ地下」のようなもの。これに対し神田では地下鉄の改札を出て出口に向かう通路に店舗が並び、まさしく地下街だった。
「メトロ誕生」によると、この地下街には「地下鉄市場」という店があった。店内の品物はすべて10銭均一と今の「100円ショップ」のような商法だ。実は昭和恐慌が襲ったこの時期、全国で「10銭ストア」が大流行した。1930(昭和5)年に高島屋が大阪で始めたのがきっかけといわれている。「高島屋150年史」によると、1931年には全国で51店舗をチェーン展開していた。米国の「10セントストア」にならったといわれ、日本では「テンセンストア」とも呼ばれたという。日本初の地下街にもこの波が押し寄せたわけだ。
ちなみに浅田次郎の小説「地下鉄に乗って」では、主人公の勤める衣料品会社は神田駅の地下鉄ストアの中にある設定。作中、須田町の地下街について「盛時には三十数軒もひしめいていたという店舗のほとんどは、無意味な空間になっている」との描写がある。古びた雰囲気が小説の味を引き立てた。