プロ野球・巨人とTDL、ルーツは京成の遊園地

二子玉川園、「読売遊園」名乗る時代も 

多摩川園の菊人形は人気を集めた(1953年ごろ、東急電鉄提供)

首都圏の鉄道会社が手掛けた遊園地の先駆け的存在が、玉川電気鉄道の玉川遊園地だ。1909年(明治42年)、現在の二子玉川駅から15分ほど歩いた場所に開園した。

久末康一郎「玉川電気鉄道と玉川遊園地」(武蔵野文化協会編「武蔵野」335号)に遊園地の内容が詳しく載っていた。藤棚、蓮池、滝などが配置され、芝居小屋があった。子供向けに滑り台やブランコなどもあったという。

玉電は遊園地経営に積極的だった。1922年(大正11年)には現在の二子玉川駅前に玉川児童園を開園。玉川第二遊園地と呼ばれた。

同園は1939年(昭和14年)には読売新聞社が経営に関わるようになり、「読売遊園」と改称。以後、「二子読売園」「二子玉川園」などと名前を変えていった。ちなみに玉電は1938年(昭和13年)には東京横浜電鉄(現・東急電鉄)に合併された。

読売遊園の絶叫マシン、命綱なしでパラシュート降下

この遊園地には、今では考えられないような「絶叫マシン」があった。「読売大落下傘塔」だ。

二子玉川園のシンボルタワー。園内はウルトラセブンなどの撮影にも使われた(東急電鉄提供)

遊園地ライターの佐々木隆さんによると、高さ50メートルからのパラシュート降下が楽しめる鉄塔だったという。椅子に座ってゆっくり落ちる初級コースもあったが、上級コースはなんと、命綱がなかった。陸軍関係者が訓練のために利用することもあったというから、いかに本格的だったか分かる。

戦後は東洋一とうたわれたフライング・コースターや映画館、観覧車などがあった。この観覧車は松任谷由実の「かんらん車」という曲の舞台ともいわれている。

二子玉川園は1985年(昭和60年)に閉園した。跡地はしばらく住宅展示場として使われた後、1992年にテーマパーク「ナムコ・ワンダーエッグ」が誕生。再開発までの期間限定だったが、人気を集め、1996年閉園の予定が2000年まで延びた。

ワンダーエッグの隣には動物とのふれあいをテーマにした「いぬたま・ねこたま」があり、こちらは2006年に閉園した。その後は再開発が進み、現在は二子玉川ライズという商業施設と高層マンションになっている。

大正から昭和初期の二子玉川周辺。玉川遊園地、玉川第二遊園地の場所が分かる。当時は玉川電気鉄道の「遊園地前」という名の駅があった(久末康一郎「玉川電気鉄道と玉川遊園地」より抜粋)
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