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本当は脱がない「野球拳」 松山発祥、90年の歴史 四代目家元 澤田剛年

2014/6/30

「アウト、セーフ、よよいのよい」でジャンケンをする野球拳。負けた側はどうするか。服を脱ぐと思われる方が多いかもしれないが、松山市を発祥とする「本家野球拳」では一切脱ぐことはない。あくまで踊りや歌、演奏を楽しむものだからだ。和太鼓奏者である私は、その四代目家元を務めている。


本家野球拳の誕生は1924年10月と伝わる。高松市北部の屋島グラウンドが完成した記念に近隣の実業団野球大会が開かれ、松山からは伊予鉄道電気(現伊予鉄道)チームが参加。しかし、高松商業高校OBで構成する高商倶楽部(くらぶ)に0対8で完敗する。

■即興で考え出し大ウケ

本家野球拳四代目家元の澤田剛年氏

その夜、高松市内の旅館で懇親会が開かれた。チームごとに隠し芸が披露され、そこでも芸達者ぞろいの高松勢が優勢となる。落ち込む伊予鉄チームを救ったのが、当時のマネジャーで川柳作家としても活躍した前田五建。前田は即興で歌と振り付けを考え、仲間に教えた。

これこそが野球拳。「野球するならこういう具合にしやしゃんせ 投げたらこう打って 打ったらこう受けて」。歌と三味線に合わせ、ユニホーム姿の選手全員が踊ったところ、大いに受けた。伊予鉄チームは一気に面目を施したという。当初は手で狐(きつね)、猟師、庄屋の形を示す「狐拳」を取り入れていたが、後にじゃんけんに変わったらしい。

松山城近くで開かれる野球拳全国大会(2008年の第39回)

以来、伊予鉄チームは地元の松山や遠征先で野球拳を披露。宴会芸として各地に広まるうち、じゃんけんに負けた場合の罰ゲームとして酒を飲んだり、服を脱いだりするといった例も見られるようになったようだ。

それを無念に感じたのが、前田の伊予鉄の後輩で俳人として知られる富田狸通(りつう)。昭和40年代、本来の野球拳を伝えようと前田を宗家とする家元制度を設け、自ら初代家元となった。富田は前田作の1番の歌詞に加えて、2~4番を書いている。

1~4番とも「へぼのけへぼのけおかわりこい」で終わる。伊予弁で「下手なやつはどけ、代わりが来い」という意味。負けた側は下げた頭に手を置いて「参った」というようなポーズをとる。

富田の友人で伊予鉄など社会人野球の選手を務めた二代目家元・後藤二郎を経て、89年に三代目家元となったのが私の母で歌手の澤田藤静(とうせい)。野球拳の歌い手もしていた母に連れられ、中学生の頃から鉦(かね)たたきをしていた私が、2002年にその跡を継いだ。

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