「ガンダム」デザイン35年 敵メカで追求した造形美メカニックデザイナー 大河原邦男

時は宇宙世紀0079年。地球から最も遠いスペースコロニーの1つが「ジオン公国」を名乗り、地球連邦に宣戦布告、激しい戦争が勃発した――。これは1979年に放送が始まったテレビアニメ「機動戦士ガンダム」のストーリーだ。主人公アムロ・レイが搭乗するモビルスーツ「ガンダム」やジオン軍のメカ「ザク」はたちまち人気となり、登場するメカのプラモデル(通称「ガンプラ」)が4億個以上を売り上げるなど、空前のヒットを記録した。

アパレルからの転身

私は72年以降、「ガンダム」などのアニメのメカデザイン一筋で仕事を続けてきた。「メカニックデザイナー」という肩書を用いたのも私が初めて。ひたすら目の前の仕事に取り組み、いつの間にか40年以上が過ぎた。

大学卒業後にオンワード樫山でアパレルデザインを担当。その後、新聞の求人広告で偶然見つけた竜の子プロダクション(現タツノコプロ)の門をたたいた。当時は特にアニメに興味はなく、家から通いやすく、なんとなく面白そうだと思っただけだった。

メカニックデザイナーの大河原邦男氏

入社後はアニメの背景を描く技術を教わっていたのだが、上司から突然、「アニメ『科学忍者隊ガッチャマン』でメカデザインをやって」と言われた。地元の東京都稲城市で米軍関係の車両や飛行機、武器をよく目にしていたこともあり、私は幼少時から機械いじりやメカが大好きだった。だから、突然の打診もすんなり受け入れられた。

筆者の自宅兼アトリエには、人間の大きさに近いシャア専用ザクの巨大模型が飾られている

当時、アニメ関係のデザイナーにはメカに詳しい人は珍しかった。「ガッチャマン」の仕事が成功した後、メカデザイン専従になり、竜の子プロでは「破裏拳ポリマー」など4作品でメカデザインを手がけた。

ザクは背広がヒント

76年に竜の子プロを辞めてからは制作会社サンライズとの仕事が増え、「無敵鋼人ダイターン3」でメカデザインを担当。その次の作品が「ガンダム」だった。この時にタッグを組んだのが、監督の富野由悠季さん、キャラクターデザインの安彦良和さんだ。

当時のロボットアニメは、おもちゃを売るための手段だという認識が関係者の間では一般的だった。「ガンダム」も玩具メーカーの指示通り、白のボディーに赤、青、黄色を交えた子供に受けそうなデザインに。当初の構想にあった「口」はなくし、今のマスク型のデザインに落ち着いた。