与謝野晶子 自立訴えた子だくさんの母
ヒロインは強し(木内昇)
与謝野晶子は明治から昭和にかけて活躍した歌人で、その作品に触れた方も多いと思う。が、今回は歌人としての軌跡ではなく、彼女が大正七(一九一八)年に平塚らいてうと繰り広げた「母性保護論争」を取り上げてみたい。
発端は、晶子が『婦人公論』誌に寄せた文章だった。女子の経済的自立をうながした内容で、「男子の財力をあてにして結婚し、及び分娩する女子は、たといそれが恋愛関係の成立している男女の仲であっても、経済的には依頼主義を取って男子の奴隷となり、もしくは男子の労働の成果を侵害し、盗用している者だと思います」と、なかなかに手厳しい。これに対しらいてうは、「婦人は母たることに由って個人的存在の域を脱して、社会的な、国家的な存在者となるのであります」として、妊娠、分娩、育児期を安定して送れるよう国庫の支えが必要だと論じた。
すると今度は晶子が、「子供を産んでいない女性は『個人的存在の域を脱しない』不幸な婦人なんでしょうか」と反論する。人の妻とならずとも、仕事で成功して社会貢献している女性だっているじゃあないの、と訴えたのだ。
女は男に仕えるものとし、文部省まで「反良妻賢母思想」を排していた時代に、晶子の主張は画期的といえる。そして、婦人の政治参画を謳ってきたらいてう以上に、女性の自立の必要性を提唱したものである。らいてうが、「母の経済的独立ということは、よほど特殊な労働力ある者の外は全然不可能なことだとしか私には考えられません」と言うのを晶子は短絡的だと一蹴している。
なにせ晶子は十二人の子を産み育てた上、歌や文章を精力的に発表して家計を支えている(当時、夫の与謝野鉄幹にはさほど収入がなかった)ので説得力十分。たとえそれが「特殊な労働力」だとしても、「女はまだまだ甘えている」と言われれば、お説ごもっともとひれ伏すよりない。
らいてうはそれでも、経済的独立を目指せば女性は長く労働市場にとどまらねばならず、子を産めぬのは婦人に不幸なばかりか国家的損失になる、と唱える。このふたりの論争に山川菊栄、山田わかも参戦し、侃々諤々やり合うも決着は見なかった。
それどころか百年経った現代も似たような議論がかわされているではないか。晶子はらいてうを「現在の労働制度が我々人間の力で改造されないものと決め込んでいる」と批難したが、女性の労働環境は今なお根本的な「改造」に至っていないのが現実だ。
国家的対策の遅れもさることながら、女性個々人の考え方やキャパシティ、価値観の違いが影響している部分もあるのだろう。制度改正だけでは網羅できない、個々の生き方や信念。これをどう合理的に建設的に汲み取るか。晶子とらいてうの論争の火は、少子化や性差別など国全体としての問題を伴って今も燻っている。次の百年、女性がより働きやすい環境を作るために考えねばならない命題はまだ数多く残っているのだ。
[日本経済新聞朝刊女性面2014年7月26日付]
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