ミスワカナ 命懸けの漫才、兵隊癒やす
ヒロインは強し(木内昇)
「わらわし隊」をご存じだろうか。日中戦争時、戦地に派遣された演芸慰問団の名称である。中国各所に駐屯する兵隊に漫才漫談を提供するため昭和十三年に発足した。DVDなどない時代、芸人が直接現地に送り込まれるのだが、エンタツ・アチャコや柳家金語楼といった当代一の人気者が集められていた。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったミスワカナ・玉松一郎コンビもこの一団に加わっている。
芸の道に分け入ったのは、ミスワカナこと川本杉子が十歳の頃。まず安来節を学び、次に漫才師の弟子についた。吉本興業に入社後出会ったのが玉松一郎で、ふたりは親族の反対を押し切り結婚。夫婦漫才師として舞台に立つようになる。ミスワカナが踊りながらしゃべり、その隣で一郎がアコーディオンを奏でつつツッコミを入れる。掛け合いの速さやネタの妙は今聞いても驚くべき完成度。ふたりは押しも押されもせぬ人気芸人へと成長する。
かほどの名人たちが遠征してくるのだから兵隊たちが心待ちにするのも当然だろう。が、そこはあくまでも戦地。わらわし隊の漫才師たちにとって命懸けの慰問となる。時に農家の土間でひと晩明かし、時に爆撃地跡に立ちすくむ。被弾して亡くなった芸人も出た。それでも兵隊を励ますべく、芸人たちは笑いを提供し続けたのだ。
ミスワカナは慰問中の出来事も巧みにネタにした。広島出身の兵隊さんがワカナに、自分の妻への言伝を頼む。
「うちかた駅から近いんじゃけん、電車で行っても六銭で行けるんじゃ、けちけちせずに行っちゃれ、わりゃあ」
老若男女の声柄を使い分けるその話芸に、会場は爆笑の渦だったという。だが彼ら兵隊は笑いながらも胸の奥深くで郷愁をくゆらせていたのではないか。日本に戻って普通に漫才を聞ける日が来るのだろうか。大切な家族と穏やかに暮らせる日がまた来るのだろうか、と。ワカナ自身も、時に戦争非難を漫才に織り込んだ。そうせずにはいられなかったのだろう。笑いというのは極限状況を救うものでもある。だが本来、平和のもと見巧者によって育まれ、究めていくものなのに、というやり切れない思いもあったのではなかろうか。
特定秘密保護法案や集団的自衛権と、昨今の話題に接していると日中戦争当時と重ねてしまうことがある。政治家は国民に「わかりやすく伝える」よりも「都合よく伝える」ことに腐心する生き物である。しかし私たちには歴史という貴重な材料がある。そこから自らに照らして想像する力がある。それらを駆使するときが今来ているように思う。戦争とは一旦はじまると、思いも寄らぬ場所まで波紋を広げるものなのだ。
ミスワカナは慰問に出た後、ヒロポンに依存していく。疲労を快復するためとも言われるが、戦地で見た酷い光景を記憶から消したかったのかもしれない。太平洋戦争終結の翌年、彼女は心臓発作で突然この世を去る。まだ三十六歳という若さであった。
※「ヒロインは強し」では、直木賞作家の木内昇氏が歴史上の女性にフォーカス。男社会で奮闘した女性たちの葛藤を軽妙に描きます。
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