「尖閣」に揺れた北京でのショー、緊迫の舞台裏
編集委員 小林明
10月31日。沖縄県・尖閣諸島を巡って日中の外交関係が冷え込んでいるさなか、中国・北京にある北京飯店の大ホールで、日本、中国、韓国の各デザイナー3人による合同ファッションショーが開かれた。主催は中国文化省など。日本を代表して招待されたのはコシノジュンコさん。「日中外交の波風に激しく揺れ動いたイベントだった。日本人として、様々なことを考えさせられた」と打ち明ける。
なぜこの時期に北京で開催したのか?
現地の人々の反応はどうだったのか?
中国政府の狙いは何だったのか?
日中間で数々の文化イベントが延期または中止される中で、曲折を経て実現したショーの舞台裏を振り返ってもらった。
当初は5月前後に予定
中国政府が最初に予定していたショーの開催時期は今年5月前後だったという。
「北京で日本、中国、韓国のデザイナーを集めて合同のファッションショーを開くことを検討している。協力していただけないでしょうか」。中国政府は当初からこんな意向を持っていたようだ。会場となった北京飯店はコシノさんにとって因縁の深い場所だった。実は、1985年、日本人デザイナーの先陣を切る形で北京でファッションショーを開いた会場が、同じ北京飯店の大ホールだったからだ。
日中関係悪化で延期に
「だが、この時期、中国でファッションショーなんてできるのだろうか……」。正直なところ、半信半疑だった。
石原慎太郎・東京都知事(当時)が訪問先の米ワシントンで尖閣諸島を都が買い上げるという構想を電撃的に表明したのが4月16日。それを機に、日中関係が一気に緊迫の度を深めていた。「反日運動に火が付き、危害を加えられるかもしれない」「硬軟取り混ぜた中国政府の外交戦略の一環では」――。様々な憶測が交錯し、どうすべきか心が揺れた。
ところが、その後、中国側から具体的な話がないまま5月が過ぎてしまう。中止なのか? 延期なのか? これでは準備のしようがない。中国側の真意を測りかねたが、「やはり外交関係が急速に悪化してしまったので、ファッションショーどころではなくなったのではないか」と考え、計画は立ち消えになったと判断した。
詳細について中国側から正式に連絡が入ったのは8月後半のことだ。
反日デモの衝撃
「10月31日に開く方向で準備しています。日本を代表して参加していただけないでしょうか」。在日中国大使館を通じてショーの詳細が知らされた。タイトルは「カラフル――中日韓のファッションショー」。各国を代表するデザイナーによる合同ショー形式とし、1人で20点、3人合わせて60点の作品をステージで披露するという内容だった。渡航費や滞在費、食費などはすべて中国政府の負担。安全も保証するという。
だが、この時期、日中関係はさらに悪化の一途をたどっていた。
7月7日、野田首相が尖閣諸島を国有化する方針を表明したのを受け、中国で対日批判が急速に拡大。8月15日には香港の活動家が尖閣諸島に上陸し、日本政府に逮捕され、強制送還された。
9月11日に日本政府が地権者と売買契約を結び、尖閣諸島を購入すると、9月15日以降、中国の50都市以上で大規模な反日デモが広がり、店舗や工場など日本企業の施設が襲撃、略奪、放火される事態に発展した。
こうした情勢を踏まえ、9月27日に北京の人民大会堂で開く予定だった日本国交正常化40周年の記念式典が取りやめになるなど、延期・中止に追い込まれる日中交流イベントが相次いでいた。
脳裏をよぎった「苦い経験」
コシノさんの脳裏をよぎったのは、中国を巡る「苦い経験」だった。
実は、1985年に北京で初めてファッションショーを開いたのを機に、その翌年から中国企業と組んで北京の繁華街、前門大通りに初のブティック(婦人服)をオープン。業界に先駆けて、中国ビジネスに取り組んでいた。
ところが、89年、民主化運動を武力弾圧する「天安門事件」が起きてしまう。市内の経済情勢、治安が急速に悪化し、結局、北京に開設した2店のブティックの閉鎖を余儀なくされた。
「利益を上げるというより、日中の文化交流につながると思ったから踏み切ったのに……。期待が大きかっただけに、落胆も大きかった」と顔を曇らせる。
中国ビジネスは政治の動向に大きく左右される――。そんな現実をしみじみと思い知らされた。
中韓から挟み撃ち?
「さて、どうしたらよいものか……」
多少の迷いはあったが、「文化の担い手であるデザイナーとしてやらなければいけないのは、困難から逃げ出すことではない。外国との文化の懸け橋となる勇気ではないか」と自らに言い聞かせ、ショーに参加することを決意した。
訪中したのは、ショーの演出などを手がけている長男の順之(よりゆき)さんとヘアメーク担当者を加えた3人だけ。警備上の都合を考慮しての判断だった。「海外でショーをするのに、これだけの少人数で出かけるのは初めての体験だった」と苦笑する。
ただ、情勢が刻一刻と変化しているだけに、「もしかしたらドタキャンがあるかもしれない」と最後まで覚悟していたという。
日程は2泊3日の強行軍。現地のオーディションでモデルを20人選び、日本の歴史と伝統を強調した花魁(おいらん)のような鮮やかな衣装を中心に20点の作品を披露。中国からは張志峰さんがウエディングドレスなど20点を、韓国からは張光孝さんが紳士服など20点を出品した。
「日本の外交姿勢や歴史認識などを巡り、イベントで中国、韓国の双方から責められるのではないか」――。正直、こんな警戒心もあったという。国連などの外交舞台で、中韓が連携して日本政府をしきりに批判、けん制する場面が目立っていたからだ。
だがフタを開けると、ショーは和やかなムードに終始した。デザイナー同士で記念写真を取り合ったり、デザイン談義をしたり。会場に詰めかけた約400人の観客から温かい拍手も受けた。気になったのは、タイトルが「中日韓のファッションショー」から「東アジア・ファッションショー」に変わっていたことぐらい。日本を目立たなくする主催者側の意向が働いたようだ。
モード界でも存在感増す中国
今回のショーは中国文化省などが主催する「チャイナ・ファッションウイーク」の関連イベントとして開催された。「チャイナ・ファッションウイーク」は東京コレクション(東コレ)のライバルにあたるイベント。中国政府は別途、モンゴルやロシアのデザイナーらも招待しており、「中国をアジアのファッションの中心に発展させようという中国政府の意気込みを感じた」という。
今や中国は世界の繊維産業の生産基地。中国出身のファッションデザイナーも相次いで育ち、消費地としても急成長しており、モード界で確実に存在感を増している。
「国家や言語の壁を越え、人々の気持ちをつなぐのが文化の役割。日本人としてその気持ちで負けたくはない。今後も努力し続けないと、モードの重心が中国に移ってしまうかもしれない」。こう気を引き締めている。
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