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朝・夕刊の「W」

野村 望東尼(ぼうとうに) 信念曲げず志士たちを感化 ヒロインは強し(木内昇)

2013/7/21

「おもしろきこともなき世に おもしろく」と幕末に生きた長州の奇才、高杉晋作は詠んだ。この頃すでに結核を患っていた彼の側には、野村望東尼という齢六十を過ぎた尼僧がいた。彼女は高杉の句に下の句を添える。「すみなすものは心なりけり」と。

■勤王活動に身を投じる 1806~67年。福岡藩黒田家の家臣、浦野重右衛門勝幸の三女として生まれる。名はモト。二川相近のもとで和歌や書道を学ぶ。野村新三郎貞貫と結婚。四人の子供を授かるが次々と亡くなり、貞貫と先妻の長男に家督を譲り40歳で平尾山荘に隠居。安政六年(59年)、寡婦になると剃髪して仏門に入る。文久元年(61年)上京、以来勤王活動に身を投じていく。

望東尼は、福岡藩士の三女として生まれた。幼い頃から文学や和歌に親しんだという。十七歳のとき、二十も年上の藩士に嫁ぐがまもなく離縁。生家に戻った彼女は国学の塾に通って和歌や書道を習練し、また尊皇思想を学び、身につけていく。

二十四歳で嫁いだ相手、野村新三郎貞貫もこの塾の門下生である。ともに再婚であった。望東尼は彼の連れ子にも慕われ、夫婦は和歌という共通の趣味を通して愛情を深める。早々に家督を子に譲り、福岡城南の平尾に建てた山荘で、夫婦水入らずの幸せな日々を送るのだ。けれど彼女本来の人生は、最愛の夫を亡くした五十四歳のときからはじまった、と言っても過言ではないように思う。

当時、黒船が浦賀に現れ、開国か攘夷(じょうい)かで天下は大きく揺れ動いていた。幕政に批判的だった志士らを弾圧した安政の大獄があり、それを指示した大老・井伊直弼が、桜田門外で討たれるという前代未聞の事件が起きる。世の女性たちが震え上がって暮らすさなか、望東尼は時勢を肌身で感じるため上京し、さらには攘夷志士をサポートする役を買って出るのだ。

平尾山荘に戻ったのちも、彼女を訪ねる志士は絶えない。山荘でしばしの休息を取りつつ、盛んに議論を交わすのは、いずれも二十代、三十代の血気盛んな男たちだ。が、彼らが望東尼を「世話焼きおばさん」と見ていた節はない。その志に感化され、教えを請うていた向きさえある。誰もが、彼女の高い教養や厚みのある人間性に尊敬の念を抱いていたのである。

だがこうした勤王活動が仇(あだ)となり、六十歳の折、望東尼は姫島という玄界灘の孤島へ島流しにされてしまう。粗末な牢に幽閉され、老体は衰弱の一途を辿(たど)る。これまでか、と諦めかけたところへ、高杉が立ち上げた救出隊が助けに来るのである。若き壮士たちが自分のために決起し、命懸けで牢を破って救い出してくれる--ひとりの女の人生で、これほどドラマチックな瞬間があろうか。

彼女は大政奉還が成ったひと月後に、この世を去る。最期まで志を曲げず、生涯愛した歌を残して逝った。

冬ごもりこらえこらえて

一ときに

花さきみてる

春はくるらし

高杉をはじめ勇猛果敢な英才たちが、性差を超え人として崇めていたのが望東尼である。ある程度年齢がいったら、女子力にこだわるより人間力を高めて、彼女のように毅然として己の道を行きたいものである。女のたおやかさを内に保ったまま、これぞという男たちと信頼関係のもと互角に仕事ができれば、それもまた女冥利に尽きるのではないだろうか。

[日本経済新聞朝刊女性面2013年7月20日付]

木内 昇(きうち・のぼり) 67年東京生まれ。作家。著書に「茗荷谷の猫」「漂砂のうたう」(直木賞)「笑い三年、泣き三月。」「ある男」など。

※「ヒロインは強し」では、直木賞作家の木内昇氏が歴史上の女性にフォーカス。男社会で奮闘した女性たちの葛藤を軽妙に描きます。

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