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田中絹代 困難を糧に女優として脱皮

ヒロインは強し(木内昇)

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NIKKEI STYLE

焦がれて女優になった人だった。下関から一家で移り住んだ大阪。十歳の田中絹代は琵琶少女歌劇に加わり、楽天地の舞台に立つ。そこで出会ったのが映画だった。自分も銀幕の世界で活躍したい。その一心で彼女は松竹キネマ下加茂撮影所に入社する。

とはいえ当時十四歳の少女に大きな役が来るはずもなく、大部屋女優として数年を送る。脚光を浴びるのは松竹蒲田撮影所に移ったのち。五所平之助監督「恥しい夢」で演じた芸者の愛らしさが話題となった。以来作品にも恵まれ、二十歳を前に松竹の看板を背負うまでになる。

虚栄心があり勝ち気な反面、辛抱強い人でもあった。鎌倉山に豪邸を建て、母や兄弟を住まわせ面倒を見続けた。病気の兄の介護も負うが、生活臭を出すことを厭い、けっして人には語らなかった。

一方撮影現場では与えられた役を遮二無二こなす。本を読んで作品世界を理解することが不得手だったからいっそう、監督が求めるものを細やかに嗅ぎ取り、天性のカンで人物を立ち上げた。脚本や演出に不服を言うこともなく役に準じたという。撮影期間は、監督を信じ、愛し、のめり込む。作品の一部となることに専心したのだ。

ところがある一件をきっかけに、彼女が積み上げたキャリアはもろくも崩れる。戦後、日米親善使節を務めたときのこと。ハワイ、アメリカ本土と渡り、劇場挨拶や表敬訪問をこなして帰国した絹代の出で立ちに周囲は目を見張る。緑のサングラスに毛皮のハーフコート。報道陣に「ハロー」と一声発し、銀座をパレードした際は沿道の民衆に投げキッスを送った。これが世間の顰蹙(ひんしゅく)を買った。三カ月のアメリカ生活で身についたしぐさがつい出たのだろうが、戦争で家族を失った人々からすれば受け入れがたい言動だったのだろう。マスコミはこぞって絹代叩きをはじめる。時に「老醜」と辛辣な文字も躍る。四十を迎えた絹代にこの一言は刃となって突き刺さった。

鎌倉山の自宅にこもり、一時は自殺も考えたというが、二年後、溝口健二監督「西鶴一代女」で返り咲く。御所に仕えていたヒロインお春は、歳とともに落ちぶれていく。その後半生を絹代は体当たりで演じた。まさに老醜をさらし、存分に表現した。この作品はベニス国際映画祭で監督賞を獲得。絹代は、困難を糧に脱皮したのである。

なにかと美醜が取り沙汰されるのは、女優に限ったことではない。前時代的男性社会の名残か、未だ女性が業績を上げるたび容姿や人柄ばかりが取り上げられる。だが実際のところ、好感度なんぞ吹けば飛ぶようなもの。些細なことでひっくり返るのは、昨今話題の事象を見ても明らかだ。結局年齢性別を越えて個を支えるのは技量なのだろう。田中絹代は若さを失ったとき、身の内から湧く真の美しさが残った。この後彼女は脇に回り、「楢山節考」では差し歯四本を抜いて老婆を演じる。絹代は美人女優としてではなく、いち俳優として生涯を全うしたのだ。

[日本経済新聞朝刊女性面2014年6月14日付]

木内 昇(きうち・のぼり) 67年東京生まれ。作家。著書に「茗荷谷の猫」「漂砂のうたう」(直木賞)「笑い三年、泣き三月。」「ある男」など。

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