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デザイナー50年回想「運命を分けた決断」 芦田淳 編集委員 小林明

2013/10/11

芦田淳(あしだ・じゅん) 50年東京高校卒。デザイナーを目指して中原淳一氏に師事。60年高島屋顧問デザイナー。66年から10年間、皇太子妃(現皇后)美智子さまの専任デザイナーを務める。96年アトランタ五輪の日本選手団公式ユニホームをデザイン。2002年「コンパス」、09年「ボンブー」を発表。次女はデザイナーの芦田多恵。83歳。

会社創立から今月4日でちょうど50年。ファッションデザイナー、芦田淳氏は同日付で社長から会長に退き、社長に昇格した娘婿の山東英樹氏に経営の実務を任せる新体制を発足させた。皇太子妃、美智子さま(現皇后)の専任デザイナーを務め、アトランタ五輪の日本選手団公式ユニホームのデザインも手掛けてきた同氏は、過去50年の自らの足跡について「ファッションビジネス界で生き残るための運命の決断があった」と振り返る。

――「ジュン アシダ」の社長から会長に退いた理由は。

「会社創立50周年を機に経営の実務を(後継デザイナーの)次女の多恵の婿、英樹君に任せることにした。これは既定路線。彼は日本興業銀行(現みずほ銀行)出身で経理に明るいし、すでに経営のかなりの部分を任せてきたので、直ちに何かが大きく変わるというわけではない。

美智子さま、礼宮さま、浩宮さま(東宮御所で)

ただ、私の負担が少しでも減れば、その分デザイナーの仕事に専念できる。私も今年で83歳になり、さすがに体力も落ちてきたが、服作りへの情熱はまったくなくなっていない。この情熱がある限りデザイナーの仕事は続けたいと思う」

――過去50年を振り返って、最も印象深い思い出は何か。

「思い出は多いが、やはり皇太子妃、美智子さまの専任デザイナーをさせていただいたことが記憶に鮮明に残っている。身に余る名誉な仕事だったし、素晴らしい経験になった。初めて東宮御所に伺い、美智子さまにお目にかかった時の感動は今でも忘れられない。外交の舞台での服装は多くのメディアの目にさらされ、細かな決まり事もたくさんあるので神経を使った。季節や気候、出掛ける場所の文化などにふさわしく、美智子さまの美しさを引き立てるための服作りに全力で取り組んできた。そのことが自分にとって大変に勉強になったと思う。デザイナーとしての自信と信頼を与えていただいたと感謝している」

第1回パリ・コレクションでのショー

――浮き沈みが激しいファッションビジネス界では、大手資本に買収されたり、経営破綻したりするブランドも少なくない。

「50年前、東京・渋谷に部屋を借りて社員10人で会社を創立したころは無我夢中だった。東京五輪の前の年。高度経済成長のさなかのことだ。今思い返しても懐かしい。高島屋の顧問デザイナーを務めながら、日本のファッション界の未来について熱く議論したり、パリなど欧州に2カ月の視察旅行に出掛けたり、がむしゃらに働いた。その小さな会社が今では年商93億円(2012年8月期)、社員370人に成長したのだから、夢のような話だ。でも、これまでの道は決して平たんではなかった。実は運命を左右する大きな決断があった。1979年のことだ。この決断をしたからこそ、厳しいファッションビジネス界で生き残れたのだと自負している」

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