誰の背中も追わず、ブラジルで道切り開く 大竹富江さん
画家
ブラジルが誇る現代美術の巨匠だ。子育てが一段落した39歳で本格的に筆を取り始め、いまも現役。力強い線が印象的な作風と同様、誰の背中も追わず芸術家としての道を切り開いてきた。
1913年、京都府で材木店の6人兄弟の末っ子として生まれた。幼い頃から絵が好きだったが「女性は絵描きになどなるものではない」と家族に言われて育つ。
女学校を中退し、すぐ上の兄が移住したブラジルに渡ったのは36年。移民船で港に降り立つと「日本の薄暗さとは違う黄色い空気」を感じた。当初は1年間のつもりが、なじんだブラジルへの定住を決意する。
兄の友人と結婚し2人の子宝にも恵まれた。家事と育児に追われる日々。「家族が何よりも大切。自分はいつも最後」と振り返る。
52年、展覧会でブラジルを訪れた日本人画家と話す機会を得たのが転機に。「絵が描きたいと言うのになぜ描かない」との問いに自我が沸き立つ。「子どもが育ち、自身のことに取り組めるようになった」時期とも重なった。
「とにかく描くのが好きだった」。5年後からは一日中帆布に向かった。だが、学校には通わず、日系人の画壇とも距離を置く。「絵の具の混ぜ方も分からなかったけれど描いて実験した。人に習うことは嫌いです」
60年代以降は抽象画に集中的に取り組み、大型彫刻や壁画など公共美術も手がけた。静謐(せいひつ)さと大胆さが同居する作品群は22歳まで過ごした日本の価値観とブラジル文化の融合と称される。作品に題をつけないのは「見ている人の感じ方を大切にしたい」と考えるからだ。
規則正しい生活が創作を支える。週のうち月水金は絵画、火木は造形に充てると決めている。起床は午前6時半。朝食には「納豆とヒジキを毎日のようにとる」。
遅れたスタートを取り戻すかのように、衰えを知らない制作意欲。100歳を迎える心境を問うと「どのように死んだらよいのか分かりません」とおどけてみせた。誕生日翌日の今月22日には自らの展覧会の開会式を控えている。
(文と写真、サンパウロ支局 宮本英威)
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