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川合小梅 動乱期、日記が伝える生の証し ヒロインは強し(木内昇)

2014/2/9

他人の日記は、読み物として十中八九面白い。こと公開目的ではなく記されたものは瑞々しく、かつ時代を映す貴重な史料となり得る場合が多々ある。幕末から明治にかけて書かれた「小梅日記」はその最たる例である。

■祖父、母から学ぶ 1804~89年。紀州(現・和歌山県)藩士、川合鼎の娘として生を受ける。5歳のとき父が病没、祖父、母に育てられる。松坂学問所の掌教だった祖父に漢学を、母に和歌を学ぶ。長男の雄輔も儒学を学び、維新後は小学校教諭に。夫亡き後、小梅も近隣の娘たちに学問を教えるなどして家計を助ける。ところどころ抜けはあるが日記は嘉永2年(1849年)から明治18年(1885年)までのものが残されている。

川合小梅は、紀州藩の学問一家に育った。父は藩校「学習館」で教鞭を執り、祖父は高名な儒者である。この環境も手伝って、彼女は幼い頃より漢学や和歌、絵を学び、豊富な知識を身につけていく。学習館の講官で、のちに紀州藩御留守居物頭格となる梅本修(川合梅所)と結婚し、子も育て上げた。が、そこに幕末の動乱が起きるのだ。

紀州は徳川親藩である。藩主・徳川慶福は家茂と名を変え十四代将軍となっている。長州を筆頭に倒幕を目指す志士が各所で立ち上がる中、紀州藩士は海岸防備や長州征伐に駆り出され、それまでの平穏な日々は一変する。

小梅はしかしあくまで冷静に政情の変化を観察し、細かな記録を続けるのだ。例えば大政奉還が成った慶応三年十月の日記には、十五代将軍・徳川慶喜の御奏聞の写しが記されている。「当今外国の交際日に盛なるより(中略)従来の旧習を改め、朝廷に奉帰、広く天下之公議を尽し、聖断を仰ぎ、同心協力、共に皇国を保護仕り候得ば、必ず海外万国と並び立つべく候」。京都詰めの藩士からの報告もこまめに目を通し、王政復古の大号令が出て、いよいよ鳥羽伏見の戦がはじまろうかという十二月には、京都市中が騒然となり、町人が家財道具を運び出して逃げる支度をしている様が書かれている。まさにジャーナリストさながらだが、面白いのは世情と同価に身辺雑記が並んでいることである。

正月支度の模様、家族の病の具合、来客、天気、献立、冠婚葬祭。小梅の記述は感情を除けた事実や事象のみなのだが、実はこの日常部分こそが醍醐味なのだ。こんな慣習があったのか、こんな養生をしていたのかと、読むうち時代を超えて日々の営みそのものが愛おしくなる。

「平凡な人生」なる言い回しをよく耳にする。もしかするとほとんどの人が自らをそう位置づけているかもしれない。だが、時代小説を書いている身から言わせてもらえば、平板な(と個々が思っている)日常ほど面白いものはないのである。他者から見れば案外それは奇抜だったり、格好良かったり、感動的だったりする。それぞれの平凡には必ず非凡が潜み、どの人生にも余人には真似できない見所がある。「平凡でつまらない人生」と感じているのは世界で自分ひとりと思って、まず間違いないのだ。

小梅は幕末の動乱に書をもって一石投じたわけではない。歴史的偉業をなしたわけでもない。むしろ明治になって武士から士族となり、困窮を強いられたりする。暮らしに頭を悩ませ、変わりゆく時代に翻弄されながら彼女はただ一心に生きた。そうやって地道に積み重ねた日々が、かけがえのない生の軌跡として今に残ったのである。

[日本経済新聞朝刊女性面2014年2月8日付]

木内 昇(きうち・のぼり) 67年東京生まれ。作家。著書に「茗荷谷の猫」「漂砂のうたう」(直木賞)「笑い三年、泣き三月。」「ある男」など。

※「ヒロインは強し」では、直木賞作家の木内昇氏が歴史上の女性にフォーカス。男社会で奮闘した女性たちの葛藤を軽妙に描きます。

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