有名になりたい人はパティシエに向いていないピエール・エルメ氏×中島眞介氏 スイーツを語る

東京近郊のおいしいお菓子を紹介する「今週の3つ星スイーツ」。毎回、試食会でそろえるスイーツを買うときは、行列を覚悟で人気店に足を運ぶ。東京は世界有数のスイーツ激戦区。今週は番外編として、フランスと日本の第一線のパティシエに、進化を続ける日本のスイーツについて語ってもらった。

ピエール・エルメ氏「アドバイスすること、もうない」

――日本の洋菓子の印象は?

ピエール・エルメ 1961年、フランス・アルザス地方で続くパン屋の4代目として生まれる。14歳で「ルノートル」で修業を始め、24歳で「フォション」のシェフ・パティシエ、35歳で「ラデュレ」副社長に就く。モダンながら伝統菓子を大切にする作風で「パティスリー界のピカソ」といわれる。マカロン、カヌレ、クイニーアマンなどの数々のブームの火付け役でもある。 98年、東京・紀尾井町のホテルニューオータニに自身の店を初出店。現在は世界各地に展開している。2007年、レジオン・ドヌール勲章受章。世界最高レベルの菓子職人が加盟する協会「ルレ・デセール協会」副会長。

エルメ氏 日本に私の店をオープンして今年で15年になる。洋菓子の国際コンクールの審査員として各国のパティシエの活躍も見るが、日本は味も技術も飛躍的にうまくなっている。手先が器用なのだろう。チョコレート細工やあめ細工などが特にうまい。

日本の洋菓子は、見た目はきれいなのに味に関しては表現力が少し足りないところが以前はあった。和菓子の考え方が根強いことがあるのだろう。比較的限られた食材で味や美しさを表現する和菓子に対して、洋菓子は豊富な食材を使って味を組み立てていく。日本のパティシエもそこに気づき、最近は次々とおいしいものを作るようになった。私がアドバイスすることは、今はもうない。

最近はベトナムのハロン湾に興味

――日本で成功する自信はあったか。

エルメ氏 技術には自信があった。自分の店を開くとき、目指したのは「パティスリー界におけるラグジュアリー(高級)ブランド」。お菓子は五感全てで人を幸せにするものだと考えている。パイ生地のサクサクとした歯ざわり、フルーツの甘みや酸味、クリームのなめらかさなどを組み合わせていく。ただ新しいだけでなく、食べたらうれしく、幸せに感じてくれるため、自分ができる表現を思いっきりしようという気持ちで臨んだ。

――“パティスリー界のピカソ”と呼ばれる。子どもの頃からアートが得意だった?

エルメ氏 絵画が得意だったわけではない。普通の子どもと同じ。今もレシピを考えるときにスケッチはするが、より店やブランドを美しく見せるためにデザイナーやアーティストとの交流を積極的にするようにしている。

「今は独特な景観を持つベトナムのハロン湾に憧れている」と言うピエール・エルメ氏

――独特の作風は、どのようにひらめくのか。

エルメ氏 食材、誰かとの会話、読書しているときや旅してみたい街への憧れ……。ルールはない。だからいつでもどこでもひらめくことがある。例えば、今は独特な景観を持つベトナムのハロン湾に憧れている。訪れたことはないが、そのイメージをもとにコリアンダーなどの味を添えたマカロンを思いつき、来年、商品として発売する予定だ。

――日本でパティシエが人気の職業になっている。どんな人が向いているのか。

エルメ氏 お菓子に対する情熱が第一。心からやりたいという人でないときつい仕事かもしれない。私は14歳からこの道に進んだ。フランスは14歳まで義務教育がある。学校の最後の1年間は早く修業がしたくてしたくて、つらかった。仕事を始めて、つらいこともあったけれど、本当にパティシエになりたかったから全て幸せな時間だった。

ザ・リッツ・カールトン京都でデザートを担当

フランスでは、若いパティシエがテレビや雑誌に出演する機会が増えている。それがちょっと心配なことだ。スターになることに憧れている子どもがいるかもしれないが、それが目的だったらパティシエには向いていない。お菓子に対する情熱と決意が大事だ。

――今後の展開は?

エルメ氏 来年2月にオープンするザ・リッツ・カールトン京都で朝食を手がけ、全てのレストランのデザートを担当する。アジアでは今月香港に2店目をオープン。今後は韓国、マカオやシンガポールなどでも展開する予定だ。

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パティシエ同士の結束力の固さも日本の強み