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江戸の粋!「銭湯富士」100年の歴史

2013/8/3

富士山の絵といえば葛飾北斎の浮世絵が有名だが、銭湯の壁に描かれているペンキ絵もなかなか乙だ。湯船につかって湯気にかすむ「銭湯富士」を見上げ、思わず「ああ極楽、極楽」とつぶやいた経験は誰にでもあるだろう。でも、なぜ銭湯に富士山? 世界文化遺産登録を機に調べたら、そこには奥深い世界観があった。

中島盛夫さんが7月中旬に描いた富士山(埼玉県和光市の「浩乃湯」)

千代田区にある「最古の銭湯富士」

東京都千代田区のJR水道橋駅から徒歩数分のビルの玄関脇に「銭湯に初のペンキ絵」と記したプレートが掲げられている。千代田区が設置した「まちの記憶保存プレート」だ。1912年(大正元年)、この地にあった銭湯「キカイ湯」の主人に頼まれ、静岡県出身の画家が描いた絵が銭湯富士の最初とされる。そばの説明板には「この絵が満都の評判となり、市内各湯もこれにならって思い思いの絵をかかせて浴客を喜ばせ……」とある。

銭湯ペンキ絵発祥地に建つビルに掲げられたプレート(東京都千代田区)

ペンキ絵の誕生は銭湯の壁を有力な広告媒体に変えた。広告会社が銭湯経営者からペンキ絵の下のスペースを借り受け、企業や近隣の商店などから広告を集めて掲載するビジネスが登場。広告会社は専属の絵師を抱え、年1回の広告料改定に合わせて無料で絵を描き換えるシステムが出来上がった。これが銭湯絵の普及を加速したという。

太宰治は1939年発表の「富嶽百景」で、山梨県の御坂峠から見た富士山について、「これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。」と書いた。この記述は、すでに昭和の初めには銭湯富士が広く普及していて、多くの人にとって周知となっていたことを示す証拠と言っていいだろう。

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