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旅行・レジャー
日本の歩き方

2014/1/5

日本の歩き方

実は、石見が手柄山ルートの建設を急いだ一因は新幹線にあった。

山陽新幹線の高架をくぐるように造られたモノレールの軌道。

山陽新幹線の新大阪―岡山間が開通したのは1972年。「モノレールの建設が遅れると、新幹線をまたいで軌道を造らなければならない。先に造ってしまえば新幹線がモノレールをまたいでくれると考えたようです」と利勝さんは語る。モノレールと新幹線が交差する様子を、一度この目で見てみたかった気がする。

新幹線の高架を過ぎてさらに南下すると、最大のヤマ場が見えてきた。橋脚と軌道が約350メートルにわたり、ほぼ当時の姿をとどめている。市によると、川沿いにあるためにクレーンが入れず、解体が難しいそうだ。

「補強して残す方法も選択肢の1つ」(管財課)という。川と軌道の組み合わせは美しく、若い人が通りすがりにスマートフォンで撮影していた。

現存する軌道はここまで。あとは高台にある手柄山中央公園までひたすら歩く。モノレールの終点だった手柄山駅の建物は今、姫路市立水族館に姿を変えている。モノレールの進入路はそのまま水族館の入り口として活用されている。

当時の車両を公開中

手柄山駅を再現した常設展示。車両は当時使われていたものを使っている。

市は2011年、閉鎖されていた手柄山駅のホームを改修し、残していた車両とともに常設展示を始めた。ファンが個人サイトで姫路モノレールの魅力を訴えるなど、再評価の声が高まったことを踏まえた。

ホームは当時の広告や時刻表を復刻。座席に座らせている親子の人形は1960年代の服装を忠実に再現しており、なかなか芸が細かい。12年度は10万人近い人が訪れたという。

モノレール運行の初期から公園にある回転展望台の喫茶店で働き、今は経営者を務める北川静夫さん(65)は振り返る。

「喫茶店に通うためにモノレールを使っていました。当時は2年前に東京五輪が開かれるなど、夢の時代。モノレールも夢の乗り物でした。せめて姫路城まで開通していれば、事情は変わっていたかもしれませんね」

公園の高台からモノレールの軌道を眺めると、背後に姫路城が見えた。鳥取までは無理としても、せめてあそこまでつながっていたら。一瞬、そんな空想にふけった。(大阪地方部 海野太郎)

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