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日本の歩き方

2014/1/5

日本の歩き方

高架下のビルで繊維卸業を営む米田かすみさん(61)に建物の中を見せてもらった。橋脚に当たる部分の壁が大きく出っ張っている。

古い建物の上にモノレールの軌道が残っている。

「2007年に入居して、初めて見た時は『何なんやろ』と思いました。2階の窓を開けたらコンクリートの柱が出てきてびっくり」。記者も見せてもらった。窓を開けると、そこにきれいな橋脚があった。

米田さんに「モノレールに乗ったことはありますか?」と尋ねた。「1回だけね。当時は中学生で、手柄山中央公園で開かれた博覧会を見に行きました。景色が良かったですね」

博覧会の交通手段に

姫路モノレールは66年に開かれた「姫路大博覧会」の手柄山会場と姫路駅を結ぶ路線だった。整備を主導したのは当時の市長、石見元秀だ。深刻さを増す市内の渋滞を解消する手段として、外遊先で体験したモノレールに目をつけた。

米田かすみさんの仕事場。窓の外に橋脚がある。

高架なので場所を取らず、地下鉄より建設費が安い。日本では遊園地などでの導入が先行したが、公共交通機関としても注目されつつあった。

様々なメーカーがモノレール開発に参入する中、姫路市が採用したのは航空機メーカーの米ロッキード(現ロッキード・マーチン)が開発した「ロッキード式」だ。コンクリート軌道の上部と左右に鉄のレールを付け、それを車両側の車輪で押さえて走る。

軌道をゴムタイヤで直接挟む方式より揺れが少なく、高速を出せることを売りにしていた。車体には航空機と同じジュラルミンを使い、当時では最新鋭のモノレールだった。

だが、博覧会が終わると利用者は潮が引くように減った。運賃は姫路―手柄山間が100円。バス料金が20円、コーヒー1杯が50円の時代に、高い料金を払って公園に行く人は少なかった。

12億円近い建設費をつぎ込んで「お荷物」を造った石見は批判され、翌年の市長選で敗れる。輸送人員は初年度の約40万人が最多。その数字を超えることなく、74年に十数億円の累積損失を抱えて休止に追い込まれた。

皮肉にも、その頃から低コストのモノレールへの評価が高まる。同年には国がモノレール整備に補助制度を設け、各地で整備が進んだ。姫路モノレールは、まさに早すぎた「夢の交通」だった。

石見の息子で、現在は父と同じ姫路市長を務める石見利勝さん(72)は振り返る。「父は最終的に姫路と山陰をつなぐ一大交通網を想定していた。手柄山までの路線は、いわばテスト線だったんです。自動車依存からの脱却を目指す方向性は正しかったが、ビジョンを説明する努力が足りなかったんでしょうね」

解体が決まった高尾アパート。モノレールの「大将軍駅」が3、4階部分に入っていた。

「駅付き集合住宅」を発見

ビル群から西へ歩くこと数十メートル。ビルに突き刺さるように、モノレールの軌道を抱え込んだユニークな集合住宅が見えてきた。

日本住宅公団(現・都市再生機構)が66年に建設した「高尾アパート」だ。1~2階は商業施設、3~4階にモノレールの「大将軍駅」が入り、5~10階は賃貸住宅という、全国でも極めて珍しい造りの集合住宅だ。

「夢の交通」を象徴する近未来ビルは地元でも人気を集めた。だが駅自体はほとんど使われなかった。隣の姫路駅までは歩いて600メートル足らず。15~20分間隔で運行するモノレールを待つより、歩いた方が早かった。開業2年後には早くも通過駅となり、モノレール自体より一足早く短い歴史を終えた。

昨年、都市機構は耐震上の理由から高尾アパートの解体を決めた。期日は未定だが「住民には2015年5月末までの退去をお願いしている」(西日本支社)。駅は閉鎖されて久しく、入り口さえ分からない。外から駅のホームをのぞくと、どうやって忍び込んだのか、壁に落書きがあった。

アパートを背にさらに西へ向かうと、山陽新幹線の高架が見えてきた。ここからは進路を南に取る。あたりは人家も少なく、途切れながらも橋脚と軌道がきれいに残っている。よく見ると、新幹線の高架下をモノレールの軌道が絶妙な高さでくぐり抜けている。

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