2013/12/21

日本の歩き方

プルーンのような味と食感で人気の黒ニンニクは、町内で生産者が4社ある。ニンニクの自然発酵、玄米発酵液に漬けたもの、海洋深層水に漬けたもの、遠赤外線を当てたものなど、それぞれ作り方と風味に特徴を持っているものをそろえて売っている。

店先でニンニクの「編み込み」が目についた。茎を束ね、器用にニンニクを15、16個ほど編むようにしてまとめてある。もともと町のお年寄りが趣味で編んだものだが、町のアドバイスで編み込みの作り方は特許を取得しているという。その徹底ぶりに脱帽である。横には、田子町のご当地キャラクター「たっこ王子」が描かれたバッジやキーホルダーなども売っている。

かつては炭焼きの町

どうして田子町にニンニク生産が根付いたのだろうか。山に囲まれた田子町の主な産業は、1960年代初めまでは「炭焼き」だったという。それがエネルギー革命で石油に取って代わられ売れ行きが急落、生計のすべを失った多くの町民が首都圏など都会に出稼ぎに出るようになる。

「なんとかしなければ」。62年、町の青年たちが中心になってニンニクの種を植えたが、栽培は困難を極めた。十和田の火山灰土壌で地味が痩せており、雑穀しか育たないような土地だったのだ。

70年、農協内に「にんにく生産部会」を立ち上げて土壌改良から本格生産に取り組むようになった。それまでバラバラだった栽培品種を、色が白くて病気に強く、6つの鱗片(りんぺん)を持つ形のいい「福地ホワイト」に統一。種子の選別を徹底し、規格基準を厳格に定めて、80年には東京都中央卸売市場に出荷するまでになった。

「田子のニンニクは町を越え、県を越えて大きな市場で認知されるまでになった。町民にとって大きな誇りになった」。地元農協で「にんにく課長」を長く務め、町役場の「たっこにんにくアドバイザー」として同町のニンニク振興に努めてきた川村武司さんが振り返る。

「土曜日も日曜日も休みがなかった。出荷したニンニクに何か問題があれば、夜中であってもすぐに生産者のところに飛んでいく。ときには、農家を説得してトラックの荷台1台分のニンニクの作り直しをお願いしたこともある。そうやって品質の維持・向上に必死に取り組んできたんです」

ニンニクは秋に植え付けをして寒い冬を越すことで養分を蓄えて味もよくなる。取り入れは翌年の6~7月がピークだが、一年を通じていつでも安定的に出荷できるようにと、町は2004年、3億3900万円を投じて町内に高さ26メートルの大型冷蔵施設を建設した。最大でニンニク350トンをマイナス2度で保管する。

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